寺末桑町

適当なことを適当に書きます。

ゆゆゆ「神世紀72年」考 —鏑矢たちの戦いはどのようなものだったのか?—

・はじめに 神世紀72年の鏑矢たち

 

 「勇者である」シリーズ(以下、「ゆゆゆ」と呼称)は「結城友奈の章」・「鷲尾須美の章」をはじめとして実にさまざまな時代における「勇者」たちの戦いを描いている。後続作品の『勇者史外典』や『結城友奈は勇者である 花結いのきらめき』(スマートフォンゲーム版/PCブラウザ版)(以下、「ゆゆゆい」ないしは「『ゆゆゆい』」と呼称)などが登場したことで、彼女たちの戦いを多角的に把握できる段階に到達しているとさえ言えるだろう。

 

 しかし、そのなかでも例外的に詳細が不明であり続けたものがあった。それは、赤嶺友奈たち神世紀72年の「鏑矢」の戦いである。ゆゆゆいや『楠芽吹は勇者である』(以下、「くめゆ」と呼称)などで言及があったため、ある程度の情報は判明していたが、具体的にどのような戦闘経過を辿りいかなる結末を迎えたのかについては、未解明だった。

 

 とはいえ、「詳細が不明であり続けた」と述べたように、ここ1ヶ月のうちにそうした状況が好転すると見込まれている。なぜなら、2024年春季に発売される『結城友奈は勇者である 花結いのきらめき』(コンシューマ版)(以下、「CS版ゆゆゆい」と呼称)(※上巻:2024年1月25日発売開始・下巻:同年3月21日発売開始予定)において、「赤嶺友奈の章」の新作シナリオ(「続編」)が追加されるようであり(「STORY」(『結城友奈は勇者である 花結いのきらめき』、エンターグラムhttps://www.entergram.co.jp/yuyuyui/story/(2024年3月10日閲覧))参照)、未解明だった彼女たちの実像がおそらく明らかになることが予想されるからである。

 

 もちろん、筆者の手元にCS版ゆゆゆいが存在せず、前提として下巻の発売は未来のことだから、確実なことは言えない。だが、CS版ゆゆゆい全体の分量を考慮すれば、「赤嶺友奈の章」の新規追加シナリオが数話にとどまるとは到底思われず、神世紀72年の戦闘に関するある程度の新規情報が含まれることは想像に難くない。それによって実態がほとんど判明するまでは言わないが、間違いなく実態解明に資することだろう。

 

 したがって、CS版ゆゆゆいが全巻発売された暁には、神世紀72年に起こった事態がより鮮明にわかるようになるはずなのである。しかし、それはもう少し未来の話であり、現在の段階では十分にわからないままだと思われる。あるいは既に上巻で判明しているのかもしれないが、いずれにしても現在の段階で判明している情報を整理して提示することには意義がある。それゆえに、本コラムでは、そうした神世紀72年の四国地方でおこなわれた赤嶺たち鏑矢の戦いに関する基礎的情報を有り合わせの資料のなかから抽出して説明してみることとしたい。

 

 

赤嶺友奈(「赤嶺友奈」「Character」『結城友奈は勇者である 花結いのきらめき』)

 

 

・戦闘の概要

 

 まずはその概要だが、簡単に言えば、神世紀72年に「鏑矢」の赤嶺友奈・弥勒蓮華が天の神を信奉する勢力によって引き起こされた、四国社会を危機に陥れようとする事件を鎮圧した、ということになる*1

 

 以下、その戦いに関する情報を詳しく説明していこう。

 

・鏑矢とその任務

 

 まず「鏑矢」というのは、「勇者というよりは、厄災を祓う」「御役目」(「決して表には出せない御役目」)を担当する存在の呼称であり、「神樹様から力をもらって、世界の厄介ごとに対処」するものである(「赤嶺友奈 自己紹介」『ゆゆゆい』・「赤嶺友奈の章第1話 楔」『ゆゆゆい』)。神樹から戦闘能力を獲得して敵対勢力に対処する点は勇者と同じだが、①「勇者服を着て戦」わず「神樹様から直接力をもら」うタイプだった(「勇者に変身しなかったけど、神樹様から力はもらって、御役目についていた」)点(「花結いの章13話 遠方にある人」『ゆゆゆい』・「花結いの章第28話 高尚」『ゆゆゆい』)、②敵対勢力がバーテックス・天の神ではなく「天の神を信奉する人達」という「平和を乱す人間」だった点(「花結いの章第28話 高尚」・「赤嶺友奈の章第1話 楔」)で異なっている。彼女たちは勇者服を着ない「勇者」ならざる存在のため、バーテックスとの戦闘は到底「無理」だったが、「そこそこ力は出せる」ため「人なら制圧できる」(「勇者様のように装束を纏う事もない」)事情によって「対人用の御役目」を請け負うことができたのである(「花結いの章第28話 高尚」『ゆゆゆい』・「赤嶺友奈の章第1話 楔」『ゆゆゆい』)。

 

 鏑矢の具体的任務に関しては、それが「物理的に矢を放つ」ことで「妖魔を退散させ、五穀豊穣や無病息災を祈願する神事」だと表現されているように、「平和を乱す人間」としての「天の神を信奉する人達」(「妖魔」)に対して「神の力」(神樹から付与された力)を利用しながら矢を発射し、「ただ粛々と、目標を射貫」くことで、相手を「昏睡状態に陥」らせ無力化する(「厄を祓う」)ものである(「赤嶺友奈の章第1話 楔」『ゆゆゆい』)。「神の力」の行使に際しては、巫女・桐生静が「祝詞」で神樹の「超常的な力」を2人に付与させることが求められている(「赤嶺友奈の章第1話 楔」『ゆゆゆい』)。

 

 また、その任務を「いわゆるスパイってやつかな」と言い表したり、「ちょっとダーティな事も黙々とや」ったという赤嶺の発言があることから(「花結いの章第28話 高尚」『ゆゆゆい』)、敵対勢力の集団内部への潜入や公表しづらい性格が極めて強い任務の遂行などもやっていたようである。

 

 なお、射貫かれた人間の運命については、神樹の判断次第であり、「最終的に助かる」かもしれないし、「神罰が下る」かもしれないが、究極的にはわからない(「赤嶺友奈の章第1話 楔」『ゆゆゆい』)。

 

・鏑矢就任の経緯

 

 鏑矢となった経緯に関しては、「これからの平和を守るために」神樹様が彼女たちを適当な存在だと判断して選抜され、(四国社会が「平穏を取り戻し」た状態にあった)神世紀71年に、香川県象頭町(2024年3月10日現在の香川県仲多度郡琴平町)に呼び集められ、(巫女の静のサポートのもと)鏑矢の任務を担当することになった事実が判明している(「赤嶺友奈の章第1話 楔」『ゆゆゆい』)。その後は、「人目につかないように山中の洞窟で訓練用の精霊を相手に訓練」したり(「花結いの章第28話 高尚」『ゆゆゆい』)、「教官」が「任務で落命させないよう厳しく鍛えた」り(「きらめきの章第10話 不屈の心」『ゆゆゆい』)することで、「厳しい訓練」の末に*2「その腕を鍛え」、神世紀72年には鏑矢としての「神事」が本格的に開始されることになるのだった。

 

・赤嶺家と弥勒

 

 赤嶺の出身である赤嶺家や蓮華の出身である弥勒家についても見ておこう。

 

 まず前者は、赤嶺の鏑矢就任によって「大赦で対人用の御役目をする家とな」り「活躍した」ことで「大赦の中でもまぁまぁの地位をも」つことになった(「花結いの章第28話 高尚」『ゆゆゆい』)。赤嶺家は、神世紀300年前後の時点でも「大赦ではそこそこ有名な家」として知られるほどに繫栄しているようだが(「花結いの章第12話 敵意」『ゆゆゆい』)、その発展の契機は赤嶺の活躍にあったわけである。しかし後者は、「蓮華より前から有名な家柄」だったにもかかわらず(「きらめきの章第5話 歓迎」『ゆゆゆい』)、蓮華が「ここ1番の大事な御役目に私情が混ざって失敗」(「大事な御役目で何か失敗」)し「赤嶺との地位が開い」たのだという(「花結いの章第28話 高尚」『ゆゆゆい』・「きらめきの章第10話 不屈の心」『ゆゆゆい』)。

 

 「赤嶺家と弥勒家は盟友」(「花結いの章第23話 誤解を解く」『ゆゆゆい』)とも呼べる関係性にあり、少なくとも「弥勒家の祖先」=蓮華が「重要な働きをし」たことから、その後ある程度は「赤嶺家と並んで四国を救った英雄として讃えられてい」たようである(『くめゆ』108頁)。しかし、蓮華の子孫で神世紀300年前後の「防人」メンバーのひとり・弥勒夕海子の語るところによれば、「その後、百年、二百年と年月を重ねる間に、様々な原因があって弥勒家は没落し」、「今やその功績が歴史の記述に載らないほど、私たちの権威は失墜し」たという(『くめゆ』108頁)。この「没落」過程において、蓮華の「失敗」はそれほど決定的な影響力を持っているわけではないが、「赤嶺との地位が開い」たとあるように、「失敗」が赤嶺家との明暗を分けたと見なすことはできるだろう。

 

 なお、「地位が開」く契機となった出来事は、「でも人間としては弥勒家が正しいよ。私は弥勒蓮華を友人として誇りに思う。ただちょっとダーティな事も黙々とやる赤嶺のような人間も必要ってだけで。」という発言(「花結いの章第28話 高尚」『ゆゆゆい』)からすれば、非「人間」的とも思われるほどに「ダーティ」だが「大事な」任務があり、そこで蓮華が「私情が混ざって」「失敗」してしまったことになるのだろう。とはいえ、これ以上の情報はわからない。

 

・「天の神を信奉する人達」と「大規模テロ」事件

 

 敵対勢力である「天の神を信奉する人達」=「平和を乱す人間」に関しては、「平和になったというのに、再び終末戦争(神世紀移行期の人類と天の神・バーテックスとの戦争のこと:引用者注)の時代に巻き戻るような事件が起ころうとしている」(「赤嶺友奈の章第1話 楔」『ゆゆゆい』)という表現を見る限り、極めて重大な事件を引き起こせるほどの勢力だったことがうかがえる。また、「お役目の時に、相手が精霊を使ってくる場合があった」という事実(「きらめきの章第10話 不屈の心」『ゆゆゆい』)は、大赦に匹敵するレベルの実力を持っていたことを示唆している。しかし、それほどの大勢力になっていたかれらに関する情報は、(確認できた限りだが)これ以上存在していない。

 

 そして、「事件」の内実もつまびらかではない。かれらの引き起こした「神世紀七十二年の大規模テロ」事件(『くめゆ』107頁)は、神世紀300年前後の時点で「歴史の教科書にも載っている大きな事件」にもかかわらず、「大赦による検閲の結果」、「『正常な思考を失ったカルト団体が、四国の全人民を巻き込んで集団自殺を図った』ということだけしか」情報がなく、「どんな歴史解説書にも」その詳細が記されていないのである(『くめゆ』107頁-108頁)。「テロ」、「正常な思考を失った」、「カルト団体」、「四国の全人民を巻き込ん」だ「集団自殺」等々、それら政治性に満ちたレッテルの数々は、かれらを悪魔化して貶めようとする意図が明白であり、ただちにそれを信用することはできない。

 

 とはいえ、「弥勒家は——神世紀七十二年、四国を崩壊の脅威から守」り「多くの人々を救った」(『くめゆ』107頁-108頁)という表現からすれば、四国地方や人類そのものを存亡の危機に追いやるような事態が敵対勢力によって引き起こされ、鏑矢の神事の結果として多数の人々が救われることになったことは間違いないのだろう。また、かれらの「天の神を信奉する」性格や「平和を乱す人間」だというレッテル、「終末戦争」が引き合いに出されるほどの事態の重大性、レッテルとして各言説に共通している一般市民の犠牲を想定した語り口に鑑みれば、神樹中心の既成秩序を転覆しようとして四国の人々の犠牲を厭わないような行動に打って出たことは認められるだろう。そのほかにも、先に触れた「相手が精霊を使ってくる場合」という証言の直後に、「どんな技術でも使う人間次第で悪用されてしまうものよ」と続くことから(「きらめきの章第10話 不屈の心」『ゆゆゆい』)、ただ単に鏑矢への抵抗として精霊を使用したというよりは、積極的に武装・武器として使用(「悪用」)していただろうことが察せられる。

 

 だが、それらはわかるにしても、そこでは具体的にどのようなことがあり、どのような経過となり、どのような結果になったのかという問いに答えてくれる資料は存在していない。それらは容易にその尻尾を掴ませてくれないのである。「大規模テロ」という言説の背後に埋もれた真相を見つけ出すのは、至難の業である*3

 

・おわりに 未解明の現状と今後への期待

 

 以上、鏑矢の戦いについて差し当たりわかる情報を考察しながら書き出してみたが、周辺情報や漠然とした概要が判明しているくらいであり、なかなか核心となる部分が見えてこない状況が明らかとなった。

 

 正直に言えば、少ない情報をつなぎ合わせながら雑駁な議論を展開せざるを得なかったことは忸怩たる思いであり、「整理」したと言い得るかどうかは微妙だろう。本コラムでは検討対象外としたが、「私の時代の人なら造反神に協力する理由が分かると思う」という言葉(「花結いの章第12話 敵意」『ゆゆゆい』)の真意や「神世紀七二年」に「バーテックスの襲来を実体験した最後の生き残りが老衰で死亡」した出来事(朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』下(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2017年)、205頁)との関係性なども追求される必要があった。

 

 今回発売されるCS版ゆゆゆいがその実態そのものを暴露するか、実態解明の糸口を提供するかはわからないが、そうなることを切に願い、小稿を閉じたい。

 

・書いてみた感想

 

 桐生静さんの誕生日(3月10日)を心よりお祝い申し上げます。

 

・研究資料および参考文献

研究資料

※小説版※

朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』下(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2017年)

朱白あおい執筆『楠芽吹は勇者である』(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2017年)

 

※ゲーム版※

結城友奈は勇者である 花結いのきらめき』(PCブラウザ版・配信期間2017年~2022年)

 

※公式資料※

電撃G‘sマガジン編集部編『結城友奈は勇者であるメモリアルブック』(KADOKAWA、2018年)

 

参考文献

「STORY」(『結城友奈は勇者である 花結いのきらめき』、エンターグラムhttps://www.entergram.co.jp/yuyuyui/story/(2024年3月10日閲覧))

 

・画像引用元

「赤嶺友奈」(「Character」『結城友奈は勇者である 花結いのきらめき』)(https://yuyuyui.jp/character/character26.html(2024年3月10日閲覧))

*1:

 

 なお、『結城友奈は勇者であるメモリアルブック』(※「2018年9月29日初版発行」とあるバージョン)を確認すると、「神世紀元年」のこととして「赤嶺家と弥勒家が大規模テロを鎮圧」とあるが(電撃G‘sマガジン編集部編『結城友奈は勇者であるメモリアルブック』(KADOKAWA、2018年)、100頁)、「元年」の部分は誤植だと思われる。

 

*2:

 

 ちなみに、「あの御方」(乃木若葉)が鏑矢の訓練を「見てくださ」ったことに触れられているが(「赤嶺友奈の章第1話 楔」『ゆゆゆい』)、ここで言う「見る」を指導・監督するの意味で解釈すれば、「弥勒達を任務で落命させないよう厳しく鍛えた教官」(「きらめきの章第10話 不屈の心」『ゆゆゆい』)を若葉と見なすことも不可能ではないように思われる。

 

*3:

 

 それほどの実力を持った存在を既に神世紀71年の時点で察知していながら1年程度の期間「神事」を行うことなく、鏑矢たちの訓練にじっくりと費やしたという事実(「赤嶺友奈の章第1話 楔」『ゆゆゆい』)は、「大規模テロ」の真相を探る鍵になりそうである。

 

 もちろん、敵対勢力に対処できるだけの体制を整えずして攻撃を仕掛けるのは愚策なのだから、大赦側が鏑矢にじっくりと訓練を施すのは当然のことだろう。

 

 だが、描写を見る限りにおいて、かれらの存在を認知し危機と認識してはいても、一日も早く対処すべきだと考えているわけではないように思われるのが、気にかかるのである。静は「神事」開始の夜に「いよいよ今夜から『神事』がはじまる」と述べており、かれらの動向にかかわらず、「神事」が「今夜」と決めたら「今夜から」「はじ」められるような大赦側の余裕を感じさせる。かれらが何らかの計画を進行させ着々と行動の準備を完了させつつあるはずなのに、なぜそれほどの余裕があるのだろうか。無論、具体的日程決定のタイミングでは種々の状況を考慮して変更もしているのだろうが、「終末戦争」を引き合いに出すほどの危機意識がありながら、相手にじっくりと準備する1年間の猶予をまるまる与えたのは不可解である。戦力として使い物になった段階ですぐに投入することも考えられただろうし、大勢力なのだから有形無形の手段(非鏑矢的アプローチ)で圧力や弾圧を加えることもできたはずである。どうしてだろうか。四国地方の運命がかかっているはずなのに、なぜわざわざ相手にみすみす余裕を残して待つような真似をしたのだろうか。あまりにも無責任でありはしないだろうか。

 

 しかし、これらはかれらの側も同じである。大赦に匹敵する戦力を持ちながらなぜ速攻で行動を引き起こさなかったのだろうか。鏑矢は素質があったにせよ1年間の速成である。初期の段階までに攻撃していれば、四国地方を崩壊させることはできたはずである。なぜ大赦に余裕を与えたまま1年間も待ってしまったのだろうか。本当に行動に移す気があるのだろうか。

 

 だが、それは両者の目的(四国社会の崩壊阻止/崩壊)のみに注目した場合である。かれらが四国社会の崩壊を阻止する/崩壊させるための条件という観点で見れば、条件が揃っていないから行動しない(行動できない)と捉えることもできる。両者はすぐにでも行動を起こせる条件を持っているにもかかわらず、動かないままだった。それはもしかしたら何らかの条件がまだ足りておらず、「動けない」ことを示唆しているのではないだろうか。そして、両者が動けなかったのが神世紀71年であり、動けたのが神世紀72年だということに鑑みれば、両者を動けなくしているものとは、神世紀72年という時期に起因しているように思われる。かれらがわざわざ待った(待たなければならなかった)のは、神世紀72年という条件が揃わなかったからではなかったのだろうか。言い換えれば、(おそらく)神世紀72年という時期に、崩壊阻止/崩壊のトリガーとなるようなもの存在していて、それが発動しない限りはどちらも動けなかったのではないだろうか。

 

 このような条件がもし存在したとすれば、神世紀72年に起こったことの直接的要因はそこにあったと見なせるだろう。天の神や神樹といった神のレベルや大赦・政府などの国家のレベルでの検討も必要だろうし、「平和を乱す人間」と見なされた敵対勢力の内実や当時の四国社会の様子もまっさきに考察されるべきだが、まずはその全容がわからなければ仕方のない話である。神世紀72年にあった条件があるのならば、それがまず明らかにされなければならないだろう。