寺末桑町

適当なことを適当に書きます。

ゆゆゆ「鳥居」考 —「神樹鳥居」は何を意味するのか?—

・はじめに ゆゆゆの「神樹鳥居」

 

 「勇者である」シリーズ(以下、「ゆゆゆ」と呼称)で気になるものに、神社の鳥居がある。以前「神樹様」について本ブログで論じたときにも触れたのだが*1、それは現代日本社会に生きるわたしたちには少々奇異に映るのである。

 

 

terasue-sohcho.hatenablog.com

 

 

 

 

香川県讃州市内の某神社における「神樹鳥居」(1期6話・©2014 Project 2H)

 

 

 というのは、ゆゆゆの舞台となる神世紀の四国社会の場合、普段わたしたちが見かける通常の鳥居のパターンとは異なり、上図のように2本の縦柱の付け根から最上部の横柱中央部目掛けて斜めに走る2本の柱が存在するからである。いったい、これは何なのだろうか。それは、どのような意味を持つものなのだろうか。

 

 本コラムでは、こうした鳥居を祭祀対象の神(「神樹」)にちなんで「神樹鳥居」と呼称し、その意味を考えることとしたい。

 

・日本列島の「鳥居」

 

 神樹鳥居について考えるためには、そもそも日本列島で「当たり前」のように存在する「鳥居」がどのようなものなのか、このことについて知っておく必要があるだろう。

 

 定義から見ておくと、それは「神社の参道入口や社殿の周囲の玉垣に開かれた門」だと認識される存在である(「鳥居」『日本国語大辞典』)*2

 

 そして、おおよそ以下のような要素を持つものである。

 

 まずは、地面から垂直方向に立つ左右2本の「柱(はしら)」、2本の柱と接続し最上部を構成する横架材(横木)の「笠木(かさぎ)」、笠木のやや下部にあり笠木と並行しながら両柱を貫通する「貫(ぬき)」(※両柱を貫通したままその外部に突出する場合、その突出箇所を「木鼻(きばな)」という)、の3つ。

 

 これ以外にも、笠木のすぐ下部にあり両柱と直接に接続する横架材(横木)の「島木(しまぎ)」、島木と貫の中央部を縦断するように存在する短柱であり、正面前面に神社の名称などを記載してある「額束(がくづか)」、両柱を最下部で支持する円盤状短柱の「亀腹(かめばら)」、貫と両柱の接続箇所のうち上部で両柱を両端で挟むようにある「楔(くさび)」、笠木と島木の接続箇所を支持する円盤状短柱の「台輪(だいわ)」、両柱下部に付属しながら笠木・島木と直行して存在し、前後2本の短柱とそれを貫通して接続する貫(※「脇貫(わきぬき)」と呼ばれる)を擁する「脇柱(わきばしら)」などを挙げることができる。

 

 

鳥居の概念図(「鳥居」『日本国語大辞典』)

 

 

 新谷尚紀氏によれば、列島各地の鳥居は伊勢神宮型・出雲大社型・厳島神社型の3類型に整理することができ、「笠木の上部に三角形の装飾を付ける」日吉山王権現系の鳥居や大神神社の「三つ鳥居」は「あくまでも特殊な変化形と位置づけられる」という*3*4

 

 

「① 伊勢神宮の鳥居のように、上部の笠木(かさぎ)に反り増しがなく水平で、笠木の下部の島木(しまぎ)もなく、貫(ぬき)が両方の真柱の内側までで木鼻(きばな)が出ていない単純な形、およびその類例。

 

② 出雲大社の鳥居のように、上部の笠木に反り増しがあり、笠木の下部に島木があり、島木と貫のあいだに額束(がくづか)があり、貫が両方の真柱の外側まで伸びて木鼻がある形、およびその類例。これが日本各地でもっとも多くみられる形である。

 

③ 厳島神社の鳥居のように、笠木に反り増しがあり、島木があり、額束があり、貫が柱の外側まで伸びて木鼻がある、そして、二本の両方の真柱を支えるようにその前後に脇貫(わきぬき)もある脇柱が付けてある形、およびその類例。」

 

新谷尚紀『神社とは何か』(講談社、2021年)、230頁-231頁

 

 

鳥居の類型①(新谷尚紀『神社とは何か』228頁-229頁)



鳥居の類型②(新谷尚紀『神社とは何か』230頁)

 

 

・神樹鳥居の整理と考察

 

 以上、日本列島の神社における鳥居の構造や特徴に関して言及してきたが、それらを踏まえて比較してみると、神樹鳥居に関してどのようなことが言えるだろうか。

 

 まず神世紀四国の神樹鳥居を比較するためには、神樹鳥居についても一定の構造や特徴を抽出しておく必要があるだろう。以下、神樹鳥居が比較的多く登場し全体像が把握しやすい描写があるのがアニメ版ゆゆゆに限定される事情に考慮して、アニメ版の描写をもとに考察してみよう。

 

 まずは登場する鳥居をすべて洗い出すと、香川県讃州市内の神社正面の鳥居(1期1話)、②讃州市立讃州中学校家庭科準備室・勇者部部室の黒板に犬吠埼風が描いた鳥居(1期2話)、③讃州市内の神社正面脇側の鳥居(1期6話)、④讃州サンビーチ付近の神社の鳥居(1期7話)、⑤瀬戸大橋付近の建物屋上にある神社の鳥居(1期8話)、⑥讃州中学屋上の祠の鳥居(1期9話)、⑦某和食店・日本料理店の敷地内にある祠の鳥居(1期10話)、⑧乃木園子の病室にある鳥居(1期10話)、⑨香川県大橋市郊外の神社の鳥居(2期1話)、⑩讃州市内の神社境内の祠の鳥居(2期10話)、⑪「四国某所」の神社の鳥居(3期2話)9箇所11件が判明する(ただし、複数回登場する同一箇所は登場初回時のみ記載した)。

 

 それらをよく確認していくと、①・③・④・⑤・⑨・⑩・⑪(奥側の鳥居)のパターンA、②のパターンB、⑥・⑦のパターンC、⑧・⑪(手前側の鳥居)のパターンDに分類することができる。

 

 パターンAは、すべて神社の鳥居である。貫で停止する2本の縦柱、柱を支持する亀腹、少々外部に突出した木鼻を持った横板状の貫、貫の中央部直上にある長方形の額束、両端に反り増しが存在する笠木、笠木の下部に隣接する島木、柱下部から笠木・島木中央部まで斜めに伸びた斜柱によって構成される。額束正面に神樹と書いてある場合も多い。もっとも検出例が多く、一般社会内部に多数かつ日常的に存在すると想定されることから見れば、神世紀四国社会における鳥居の一般的なパターンとすることができるだろう。

 

 

①讃州市内の某神社正面の鳥居(1期1話・©2014 Project 2H)

 

 

③讃州市内の某神社正面脇側の鳥居(1期6話・©2014 Project 2H)

 

 

④讃州サンビーチ付近の某神社の鳥居(1期7話・©2014 Project 2H)

 

 

⑤瀬戸大橋付近の建物屋上にある某神社の鳥居(1期8話・©2014 Project 2H)

 

 

香川県大橋市郊外の某神社の鳥居(2期1話・©2017 Project 2H)

 

 

⑩讃州市内の某神社境内の祠の鳥居(2期10話・©2017 Project 2H)

 

 

 パターンBは、風が黒板に描いた(あまり上手とは言えない)鳥居だが、それと特徴が完全に一致する鳥居が作中に登場せず、それ以外に描かれている簡単な図解がラフなものであることから考えて、一筆書きで描写可能なように相当に細部を捨象した模式的イメージだと把握すべきだろう(たとえば、縦柱が途中の貫で停止することなく貫通している点はパターンDと一致しているが、笠木以上の長さを持つ木鼻が目立つ貫は類例が存在していない)。そのため、考察対象としては不適切であり除外することとしたい。ただし、「大赦」のシンボルとしての鳥居が描かれていると推定されることや柱の途中から生えた斜柱の存在が明示されていることは興味深い。

 

 

②勇者部部室の黒板に犬吠埼風が描いた鳥居(1期2話・©2014 Project 2H)



 パターンCは、祠の鳥居である。祠の屋根に隠れて詳細がわからないが、貫で停止する2本の縦柱・木鼻がある横板状の貫・柱の途中から伸びる斜柱はパターンAのそれと一致している。また、構造的に斜めに走る柱が何らかの横木と接続せずにそのまま屋根とぶつかるとは考えられないことから見れば、笠木が存在することが想定される。亀腹に関しても、縦柱が途中から形状に違い(円柱状と角柱状の差異)が見られる点から、(おそらくは構造的安定性のために)縦柱の下半分を角柱状に肥大化させて亀腹とし、上半分を円柱状にして柱としているのだろう。それゆえに、島木は存在が確認できないにせよ、パターンAとパターンCはほとんど特徴が一致していると言うことができ、両者を類似するものと認定可能である。

 

 

⑥讃州中学屋上の祠の鳥居(1期9話・©2014 Project 2H)

 

 

⑦某和食店・日本料理店の敷地内にある祠の鳥居(1期10話・©2014 Project 2H)

 

 

 パターンDは、特殊なタイプである。貫で停止しない2本の縦柱・木鼻を持たない貫・両端に反り増しが存在しない水平状の笠木、笠木の下部でそれと並行して存在する島木、柱下部から笠木・島木中央部まで走る斜柱によって構成される。貫は、⑧では横板状、⑪では角柱状である。亀腹に関しては、⑧では存在せず、⑪では存在する。⑪には、例外的に内側の一対のみ楔がある。

 

 

⑧乃木園子の病室にある鳥居(1期10話・©2014 Project 2H)

 

 

⑪「四国某所」の某神社の鳥居(3期2話・©2021 Project 2H)

 

 

 また、⑧は厳重に隔離された勇者・乃木園子の病室にある鳥居であり、⑪は勇者選抜試験の会場として設定された神社の鳥居であることから考えて、大赦関係の宗教施設ないしはその類似・関連施設に設置される特殊な鳥居だということができるだろう。

 

 なお、乃木園子の病室に鳥居がある理由は、園子が事実上神に近い存在(「半分神様みたいなもの」(1期8話))として崇拝されているからである。少女たちを勇者に変身させる勇者システムは、一定の戦闘ゲージが蓄積すると「満開」によって神樹の超常的な力を獲得することが可能となる。だが、その代償として身体機能の一部を神樹に供物として捧げる=「散華」することが要求される*5。園子の場合は20回散華したために、身体機能の半分近くを喪失してしまっている。こうした状況になったとき、(満開の代償として超常的な力を獲得した勇者であることによるのか、散華して身体機能を神樹に捧げた勇者であることによるかはわからないが)その勇者本人は「神樹様の体に近づいた」と見なされ、奉られ崇められることになる(1期10話)。病室は病室だが、その病室の病人の身体が神聖性を帯びるとき、その空間は神社同様の神聖なる宗教的空間となり、当該存在は宗教的権威として崇拝されることになる。そうした宗教的施設だからこそ、園子の病室には鳥居が存在するのである。

 

 そして、以上で見てきたパターンA~パターンDを総合すると、パターンA≒パターンC型とパターンD型に二分でき、いずれにおいても2本の縦柱・貫・笠木・柱下部から笠木中央部まで走る2本の斜柱が共通することが判明した。これらを以て神樹鳥居の基本的構造・特徴とすることができるだろう。

 

・日本列島の鳥居との差異性・共通性

 

 これらを踏まえながら、神樹鳥居を先に見た日本列島の鳥居と比較してみると、柱の途中から走る2本の斜柱が明確な差異として検出できる。日吉山王権現系の「三つ鳥居」の場合、笠木中央部直上で形成される三角形の装飾を有する点で神樹鳥居のようにも見えるが、パターンA≒パターンC型神樹鳥居のように柱の途中で横板状の貫が差し挟まることも、神樹鳥居の基本的構造のように2本の柱から新たに斜柱が生えることもないため、積極的に類似性を認定することができない。

 

 したがって、これ以外のタイプの鳥居が神樹鳥居的な構造をしていないのは視覚的に明白であるから、その特徴は神樹鳥居特有のものだと言えるだろう。やはり、神樹鳥居は神世紀四国社会に特有のパターンであり、従来の鳥居とは区別して(神樹信仰との関係から)「神樹鳥居」と呼称しておくことが望ましい。

 

 とはいえ、柱・貫・笠木という鳥居の基本的特徴は共通しており、木鼻・島木・額束・亀腹・楔も存在することに鑑みて、どちらも鳥居であることに変わりはない。

 

・「出雲大社型鳥居」と「伊勢神宮型鳥居」

 

 そして、パターンA≒パターンC型神樹鳥居とパターンD型神樹鳥居に関して言えば、特徴がそれぞれ出雲大社型鳥居・伊勢神宮型鳥居に類似することがわかる。前者は、貫で柱が停止する点・斜柱が存在する点・貫が横板状である点が異なるとはいえ、反り増しのある笠木・笠木の下部にある島木・島木と貫に挟まった額束・貫が柱から外部に出た木鼻が一致しており、これらの特徴を有するその他のパターンがないことから、そのように判断できる。後者は、斜柱の有無の違いはあるとしても、(貫で停止しない2本の縦柱・)木鼻を持たない貫・両端に反り増しが存在しない水平状の笠木が一致しており、島木の存在がネックにはなるが、これを「類例」的逸脱と見なせば、これ以外に一致するパターンが見当たらない事情によって、そのように判定できるだろう。

 

出雲大社型鳥居の意味

 

 そのうち、パターンA≒パターンC型鳥居が出雲大社型鳥居に類似することは極めて重要だと言わなければならない。なぜなら、当該鳥居のタイプがもともと「日本各地でもっとも多くみられる形」だとしても、それらがそのまま神世紀四国社会においても鳥居の一般的なパターンになっているとすれば、神世紀四国の宗教体系の性格を反映していると見なせるからである。既に筆者が指摘したように*6、神世紀四国の宗教体系は単一的な神樹信仰へと全面的に一元化されているため、神世紀300年前後の時点で存在する宗教施設などは例外なくこの措置の対象となっていなければおかしい。いくらそれ以前の日本列島社会で一般的だとしても、(宗教的)イデオロギーに照らして不適切だと判定されれば、排除されたはずである。そのため、このタイプが厳然と存在し普遍化しているものだと推定されることは、神世紀四国の宗教体系にとって何ら矛盾するものではないことを意味している。

 

 そして、その宗教体系の中核を為す神樹が「土地神」=「地の神」と一部の「造反神」(人類と敵対する「天の神」から追放され生存人類に味方する神々)によって構成されていて、ゆゆゆの作品世界が記紀神話をモチーフとしている以上、「国譲り」の主体にして「国津神」≒地の神筆頭格たるオオクニヌシやそれを祭神とする出雲大社の存在は焦点化されざるを得ない。つまり、神世紀四国の宗教体系とオオクニヌシ出雲大社は極めて近接した位置にある。踏み込んで言えば、後者が前者の重要な構成要素ということになる。とすれば、そのような宗教体系のもとで展開されるパターンA≒パターンC型鳥居の普遍化現象は、ごくごく自然なことだと言えるだろう。オオクニヌシ出雲大社が神樹信仰にとって重要な構成要素なのだから、その出雲大社に代表される鳥居のパターンである出雲大社型鳥居に類似した鳥居が神世紀四国を席巻するのは、当然も当然である。

 

・神樹鳥居の斜柱の意味

 

 このように神樹信仰との関係性で鳥居の形態を考えていけば、神世紀四国に特異な2本の斜柱の存在も自ずとその正体が見えてくる。斜柱は2本の縦柱の下部から笠木の中央部目がけて伸びるものだったが、このような形態を取るものと言えば、真っ先に思いつくのが神樹である。神世紀四国社会の神社は祭神をすべて神樹に一本化いるので、神社の鳥居が神樹を模したものになったとしてもおかしくはない。しかも、パターンA≒パターンC型鳥居のみならず、パターンD型鳥居にも共通する神樹鳥居の基本的特徴であり日本列島の鳥居の特徴には見られないものである以上、この推測は一定の妥当性がある。もちろん、斜柱と神樹の外形的特徴の一致をどこで判定するのかという問題はあり、樹木状の外形の幹の部分の輪郭を以て三角形状とするか、上部に展開する木々の枝の部分の輪郭を以て三角形状とするか、どちらが正しいかはわからない。だが、いずれにしても斜柱を神樹を表現するものとして見なすことは問題ないように思われるのである。したがって、神樹鳥居の斜柱とは神樹を意味するものとしてあると言うことができよう。

 

伊勢神宮型鳥居の意味

 

 しかしながら、まだ課題は残る。それはパターンD型鳥居が「伊勢神宮型鳥居」だということである。神世紀四国社会の鳥居を神樹信仰との関係で把握するならば、(神樹や人類と敵対関係にある)「天の神」の代表格と目されるアマテラスを祭神とする伊勢神宮型の鳥居が存在してしまうことは、(斜柱があるとはいえ)その宗教体系のイデオロギーに合致せず、到底許容できないものだと見なさざるを得なくなる。だが、それは神世紀300年前後の時点でも四国社会に依然として存在し、しかもイデオロギー遵守の規律が厳格化しているはずの大赦関係の施設において、出雲大社型鳥居と併存しながら存在するのである*7。いったい、これはどういうことなのだろうか。

 

 この問題の解答を試みるとすれば、まず(宗教的)イデオロギー的に問題なく、神樹信仰と整合的なものだと理解されているという可能性だろう。⑧のような閉鎖的環境のみならず、⑪のように民家も建ち並ぶ神社付近でも存在する以上、外形的特徴の差異は一般社会に容易に判明し得るはずである。そのような状況になっても問題なく説明できるような用意が大赦の側にあるからこそ、神世紀300年前後まで存在しているのだろう。とすれば、そのような説明が可能になる要素はどこに求められるだろうか。まずは斜柱だろう。これは間違いなく神樹信仰と矛盾なくする方法の第一番である。しかし、それだけではないはずである。斜柱が神樹鳥居の基本的特徴として織り込まれたうえでパターンA≒パターンC型鳥居とパターンD型鳥居の差異が新たに発生してしまうから、この差異を説明するものが必要である。ほとんど強弁に近いことを承知で探してみれば、それは島木のように思われる。「類例」的逸脱として既に判断した箇所だが、これ以外に「普通」の伊勢神宮型鳥居と区別し、しかも出雲大社型鳥居と似た特徴を持つような部分はなく、木鼻がネックになるとしても無理矢理合理化できなくはない。おそらくはここに整合化のポイントがあるように思われる。

 

 また解答の第二としては、神樹信仰の内部に天の神的な要素が重要なものとして入り込んでいる可能性である。神樹信仰はオオクニヌシのような地の神がメインになるとはいえ、造反神のような少数の元・天の神もいる。このような神々が量的にはともかく質的に重要である場合、神樹信仰にとってそれら元・天の神的な要素が主要な構成要素となることは十分考えられよう。それゆえに、そうした条件の表象として伊勢神宮型鳥居が存在する結果となっても、そのことはそれほどおかしくはないはずである。なお、大赦関係の施設に限定された形態であることに鑑みれば、伊勢神宮型鳥居が大赦に関係する何らかの特別な要因によって成立していると判断できるが、これ以上詳しい情報がわからないため、不明である。

 

 島木設置による出雲大社型鳥居的要素の付加(とその結果としての天の神的要素の脱臭化)なのか、神樹信仰内部の(元・)天の神的要素の発露なのか、あるいはまったく別の理由によるのか、そもそも問題ですらなかったのか。その実態は残念ながらわからないが、以上のような理由を以て伊勢神宮型鳥居の存在がとりあえず説明できると考えられる。

 

・まとめ/おわりに 神樹鳥居は何を意味するのか?

 

 以上を踏まえれば、「神樹鳥居」の内実や意味がある程度明らかになったと言えるだろう。

 

 まず、それは(同じ鳥居だとしても)日本列島の鳥居とは異なる特徴を持った鳥居である。2本の縦柱・貫・笠木と柱下部から笠木中央部まで走る2本の斜柱を持っている。具体的にパターンAからパターンDまでの4種類が存在し、大別すれば、(もっとも多く存在すると思われる)パターンA≒パターンC型=出雲大社型鳥居と(大赦関係の施設に限定してあると推定される)パターンD型=伊勢神宮型鳥居に二分できる。前者は反り増しのある笠木・笠木の下部にある島木・島木と貫に挟まった額束・貫が柱から外部に出た木鼻を特徴とし、後者は(貫で停止しない 2 本の縦柱・)木鼻を持たない貫・両端に反り増しが存在しない水平状の笠木を特徴とする。神樹鳥居は神世紀四国社会の宗教体系と合致するような存在であり、出雲大社型鳥居の量的優勢や伊勢神宮型鳥居の存在の背景には神樹信仰が深く関与していると考えられる。特に斜柱に関しては、その三角形状の構造との類似性から神樹を模式化して意匠化したものと思われ、神樹を表象するものだと見られる。

 

 神樹鳥居の意味というには、やや漠然とした解答になってしまったが、現状明らかにし得るものはある程度解明できたものと思われるし、神樹信仰の文脈での解釈は神樹鳥居の「意味」に迫ったものとは言えるだろう。差し当たり本コラムの課題は達成できたと見なし、ここで小稿を閉じたい*8

 

・研究資料および参考文献

研究資料

 

※テレビアニメ版※

結城友奈は勇者である -結城友奈の章-』(2014年)

結城友奈は勇者である -鷲尾須美の章-/-勇者の章-』(2017年-2018年)

結城友奈は勇者である -大満開の章-』(2021年)

 

※小説版※

朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』下(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2017年)

 

参考文献

 

「鳥居」『日本国語大辞典

「宇夫階神社」『日本歴史地名大系』

新谷尚紀『神社とは何か』(講談社、2021年)

日本建築学会編『日本建築史図集 改訂新版』(彰国社、第9版1964年、初版1949年)

原武史『〈出雲〉という思想』(講談社、2001年、初出1996年)

「宇夫階神社」(香川県神社庁)(https://kagawakenjinjacho.or.jp/shrine/%E5%AE%87%E5%A4%AB%E9%9A%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE/(2024年3月17日閲覧))

「宇夫階神社」『地域観光資源の多言語解説文データベース』(観光庁)(https://www.mlit.go.jp/tagengo-db/R2-01902.html(2024年3月17日閲覧))

 

・画像引用元

結城友奈は勇者である -結城友奈の章-』1話・2話・6話・7話・8話・9話・10話(2014 Project2H、2014年)

「鳥居」『日本国語大辞典

新谷尚紀『神社とは何か』(講談社、2021年)、228頁-230頁

結城友奈は勇者である -鷲尾須美の章-/-勇者の章-』1話・5話・10話(2017 Project2H、2017年-2018年)

結城友奈は勇者である -大満開の章-』2話(2021 Project2H、2021年)

日本建築学会編『日本建築史図集 改訂新版』(彰国社、第9版1964年、初版1949年)、10頁-11頁

*1:

 

拙稿「「神樹様」試論 ―ゆゆゆにおける神樹信仰の「異形」性―」(https://terasue-sohcho.hatenablog.com/entry/2023/09/24/220000(2024年3月17日閲覧))参照

 

*2:

 

 なお、新谷尚紀氏によれば、「鳥居は門ではない」という。

 

 寺院の山門は「世俗の世界から隔離した特別な場所であるという意味を発信」するために「壁囲いなどで周囲を囲い、一定の領域を主張する」が、神社の鳥居は「神門がある神域の周囲に垣が廻らされている」場合があったとしても、それは「仏教建築の影響による新しい様式」であり、古い「本来のかたち」としては「神域が開放的で門構えのない」ものである。

 したがって、神社とは「自然の中の森や杜に祭られていて」そもそも「開放的で周囲には特別に囲い込む塀などはない」わけであり、山門のような周囲と隔離する「門」的な発想の所産だということにはならないのである(新谷尚紀『神社とは何か』(講談社、2021年)、228頁-230頁)。

 

*3:

 

新谷『神社とは何か』(講談社、2021年)、230頁-231頁

 

*4:

 

 新谷氏は、金関恕氏の考古学研究や新谷氏自身の民俗学・民間伝承学研究の成果、若狭大島のニソの杜や厳島神社熱田神宮などの事例を参照しながら、鳥居の起源について以下のように指摘している。

 

 

「鳥居というのは、自然の中に存在していると考えられた神々が、眼前の樹叢の杜や磐座や禁足地や社殿に祭られているのに対して、人間がその祭りをしたいと考えるときに、神々にその祭りを受け入れてもらえるかどうか、を確かめたい、という思いから設けられたものではないか。


 絶大な自然の霊威力である神々に対して、少しでも接近したいと考えた人間が、まずは自分の供物をささげてそれを受けとってもらえるかどうかを確かめるために設けた装置であるということである。」

新谷尚紀『神社とは何か』(講談社、2021年)、236頁-237頁

 


 このような原初的形態は一部が残存しているとはいえ、ほとんど忘れられていると言ってよい。しかし、それらが「発展し成長したもの」こそ、鳥居なのである。「文明化や文化化の洗練の過程を通して、社殿の造営が建築工芸的にも発展していった中で、現行の神社の形式としての『鳥居と本殿』というかたちとなっ」た。その起源にあるものは、まさしく神々への供物を捧げその意志を確認するための装置だったわけである。だからこそ、現代の日本列島において「神社の象徴物として広く残っている」のだと想定されることになる(新谷『神社とは何か』(講談社、2021年)、236頁-237頁)。

 

*5:

 

 ちなみに、身体機能が回復した場合も、神樹が代理で創造しただけなので、正確には回復するわけではない(2期10話参照)。

 

*6:

 

拙稿「「ムラ社会」の残影 ―郡千景の「戦死」と神世紀移行期「現代社会」―」(https://terasue-sohcho.hatenablog.com/entry/2024/02/16/031000(2024年3月17日閲覧))参照

 

*7:

 

 なお、モデルと言われる香川県綾歌郡宇多津町の宇夫階神社も同様のようであり、それを反映したものとも見なせる。

 

 モデルの場合、祭神が大己貴命オオクニヌシだから(「宇夫階神社」(香川県神社庁)(https://kagawakenjinjacho.or.jp/shrine/%E5%AE%87%E5%A4%AB%E9%9A%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE/(2024年3月17日閲覧)))、奥側鳥居が出雲大社型なのは理解できる。だが、手前側鳥居が伊勢神宮型であることに関しては、詳細がわからない。もちろん、「祭神大己貴命、豊受皇大神伊勢神宮外宮の祭神:引用者注)を配祀」したという事実(「宇夫階神社」『日本歴史地名大系』)と伊勢神宮式年遷宮に際し「1974年に三重県伊勢神宮から宇夫階神社に移設され」本殿となった事実(「宇夫階神社」『地域観光資源の多言語解説文データベース』(観光庁)(https://www.mlit.go.jp/tagengo-db/R2-01902.html(2024年3月17日閲覧)))に鑑みれば、両者のかなり深い関係性が明白であり、伊勢神宮型鳥居があるのも納得できる。しかし、そうだとしても現在の祭神が大己貴命のみになっていることが不明なままであり、途中の祭神変更などの事情が判明しない限り、よくわからないと言わざるを得ない。

 

*8:

 

 ただし、鳥居とはともかく神社の建築様式を見れば、かなりの流動性があることには留意しなければならない。各祠の流造(⑥・⑦)や讃州市某神社の入母屋造に千鳥破風の向拝を付属した構造(下図参照)、大橋市某神社の入母屋造に千鳥破風と唐破風の向拝を付属した構造(下図参照)が入り混じるなど一定していないのである。

 

 しかし、それは日本列島の神社が「さまざまな背景からそれぞれの社殿が造営されてきたのであり、単系的な発展や展開を示すものではない」という事情を反映するものである(新谷『神社とは何か』(講談社、2021年)、137頁)。とすれば、「一元化」現象の中にも「一元化」しきれないものがあったことを示すものなのかもしれない。

 

 

大橋市郊外の某神社の本殿(2期5話・©2017 Project 2H)

 

 

讃州市内の某神社の社殿(2期10話・©2017 Project 2H)

 

 

神社の建築様式(日本建築学会編『日本建築史図集 改訂新版』10頁)

 

 

神社の建築様式②(日本建築学会編『日本建築史図集 改訂新版』11頁)