寺末桑町

適当なことを適当に書きます。

「車中読書」の誕生 ―永嶺重敏『読書国民の誕生』を読む―

 

1、はじめに 「本を読むこと」の歴史性と「車中読書」

・「本を読むこと」の歴史性

 

 本を読むこと(読書)。

 

 これは現在では世界中のどこにでもありふれたことのように思われる。実際、現代社会で生活するわたしたちの大半は、人生のうちで数えれば数回は下らない読書経験を持っているだろう。

 

 さかのぼって考えてみれば、何十年前でも何千年前でも、量的および質的な差異を無視すれば、本を読むひとはどこかに必ずいたはずである。そして、時には読書文化と呼べるようなスタイルが確立されることもあっただろう。

 

 もちろん、階層性や地域性などによる制約はあったはずだし、そもそも本を読まないところ/ひとがあった/いたとしてもまったくおかしくはない。読まれる「本」や本を「読む」行為の定義についても、しっかり考えてみようとすると、なかなか難しい問題となる。

 

 しかし、いずれにしても確実なことは、読書が歴史的にある程度普遍的に思われるということである。だが、もうひとつ「確実なこと」は、読書が時代や地域、身分、年齢、性別などによって大きく左右されることだろう。普遍的かもしれないそれは、必ずしもすべてにおいて普遍的なわけではない。

 

 それらは、いずれにしても本を読むこと(読書)に刻印された「歴史性」というコインの裏表に過ぎない。わたしたちはどれほど当たり前に思っていて、実際にある程度継続してきたように思えるものでも、視点を変えてしっかりと考えてみれば、多様なヴァリエーションが存在することに気付くはずである。

 

・「車中読書」の起源を訪ねて


 今回、筆者はそのような「歴史性」を持つ「読書」のうち、日本列島における「車中読書」というひとつのヴァリエーションに注目してみたいと思う。近年は大半がスマートフォンに取って代わられているとはいえ、通勤電車のなかで読書する―車中読書する―勤労大衆や学生の姿を見かけないわけではない(もちろん、ごく少数に限られる)。いったい、そうした光景はどのように立ち現れてきたのものだろうか。

 

 本稿は、そうした「車中読書」の誕生経緯を、永嶺重敏氏による議論(永嶺重敏『読書国民の誕生』(講談社、2023年)「第三章 車中読者の誕生」・「第四章 『旅中無聊』の産業化」)の内容を踏まえながら、以下に紹介するものである(※以下、特に断り書きのない限り、永嶺氏の議論を参照している)*1

 

 

永嶺重敏『読書国民の誕生』(講談社学術文庫、2023年)の書影(講談社BOOK倶楽部)

 

 

2、「車中読書」の誕生 ―永嶺重敏『読書国民の誕生』を読む―

・明治初期における最初の登場 ―人力車・乗合馬車・汽船―

 

 「車中読書」が日本列島で最初に登場したのは、明治初期のことである。


 それ以前の江戸時代(近世)には、駕籠のなかで大名などが読書しながら移動したと言われているが、大部分の人々は自分自身の脚で歩いていた。車中空間における読書、移動しながらの読書というのは、「近代の交通機関の登場によって初めて可能になったきわめて近代的な経験」なのである。明治期以降の近代交通機関の急速な発達こそ、出版流通や人々の読書生活を急激に変化させる契機となったわけである。

 

 実のところ、車中読書が最初に登場したのは、(鉄道ではなく)①人力車・②乗合馬車・③汽船においてだった。


 ①人力車は、明治3年以降東京府のみならず各府県でも爆発的に普及することとなったため、「人々の最も身近で日常的な乗り物」となっていた。当時の道路の状態は極めて悪く、しかも人力車の車輪のせいで振動が激しく、決して乗り心地はよくなかった。それにもかかわらず、人々はそれを新たな読書の場として活用し始めた。

 

 それは、地方知識人層を主要な担い手に、新しく登場した新聞というメディアを対象に、音読を読書方法にして、先駆的に実施されるものだった。当時、人力車中で新聞を読む読書光景は、「読書の領域における文明開化を視覚的に表わ」しており、人力車夫の方も積極的に乗客サービスのために車中に備え付けたため、休憩時には新聞を読むかれらの存在が「文明開化の進展を象徴する指標」として称賛されることになる。

 

 そうした読書光景は、まさしく「新聞と人力車という新たなメディアの組み合わせによって始めて可能になった新しい読書文化の誕生」だった。


 ②乗合馬車は、人力車同様に文明開化時代の代表的な乗り物である。そして、乗合馬車が登場した明治初期、人々は早速その車内でも読書を開始するようになる。

 

 だが、それは乗り物として考えてみると、「不特定多数の乗客に開かれた開放系の乗り物」という点で人力車とは異なる。そのため、乗合馬車での車中読書は(人力車のように)乗客と車夫という閉ざされたコミュニケーションの上で成立するようなものではなく、「乗客相互間での読書習慣の交錯や衝突」という要素が新規に追加されてくることになる。

 

 そこでは、たとえば「大新聞に代表される士族系知識人の読書文化」の官僚と、「婦女童蒙向け」の「小新聞的読書文化」の丁稚というように、同じ車中空間でもまったく違った読書文化に立脚する乗客同士の出会いと交錯が発生してくるわけである。


 ③汽船の場合はどうだろうか。それは明治期以降に新しく登場した乗り合い型の交通機関である。江戸時代の和船などに比べれば、船体がかなり大型化し航行時間も長時間化していた。そうした汽船は、鉄道網の全国的拡大以前の日本列島においては、長距離旅行の手段としてよく使用されていたのである。そこでは、長時間移動する船客の徒然を慰めるために各社の新聞を取り寄せて船中で縦覧できるようにしていた。そうして船客たちは、「さまざまな職業・階層・年齢の人々が長時間同乗する」船内で、多種多様な新聞・雑誌を読むようになった。ここにこそ、汽船における車中読書の端緒がある。

 

 しかし注意が必要なのは、「身分階層毎に教育階梯と読書のあり方がほぼ規定されていた」「近世以来の身分制的な読書状況の根強い残存」があったということである。というのは、当時、人々は「それぞれのリテラシーの段階に応じて、それぞれ異なった新聞を読み、異なった読書階層へと分断されていた」からである。それゆえに、船内の光景は均質なものでは決してなく、「職業や服装・年齢・性別によって愛読する新聞雑誌がそれぞれに異なってい」た。


 以上、①人力車・②乗合馬車・③汽船における車中読書の「最初の登場」を確認してきたが、それは「誕生」ではない。なぜなら、それらは「まだ局地的な点的段階」にとどまり「読者層の規模も小さかった」からである。車中読書の「本格的な発展」は、明治20年代~30年代の鉄道網の全国的拡大を待たなければならなかった。

 

・鉄道の全国的拡大と「本格的な誕生」

 

 それでは、その「本格的な発展」の様子を具体的に見ていこう。


 そもそも日本の鉄道は、新橋・横浜間の鉄道開業(明治5年)を先駆として、明治初期以降、全国各地に拡大していく。そして、車中読書もまた鉄道開業とほぼ同時期に誕生することになる。人々は「新しく登場してきた汽車という移動空間」を、「さっそく気楽なくつろいだ読書の場として活用し始めた」のだった。人力車や乗合馬車における車中読書がそうだったように、それは汽車という「文明開化を象徴する乗り物」によって出現した新しい読書スタイルの誕生だと言えた。

 

 そして、明治20年代~30年代には、鉄道網の全国的拡大(と近代ツーリズムの発達)によって乗客数が急速に増加するなかで(※明治20年以降の10年間で10倍に達した)、そのスタイルが全国的に普及することになるのである。「鉄道網の全国的拡大」という事態は、活字メディアの全国的流通網の形成を可能にする(活字メディアを運ぶメディア化)とともに、鉄道のネットワークに乗って全国的規模で車中読書文化という新たな読書文化を創出する(それ自体の読書の場=メディア化)ことになった。

 

 それは、まさしく「車中読書」の「本格的な発展」であり「本格的な誕生」だった。そして、それはまた「車中読書」を実践する乗客―「車中読者」―についても、同じことが言えるだろう。すなわち、明治20年代~30年代の日本列島に起こったのは、「車中読書」と「車中読者」の「本格的な誕生」である*2

 

 ちなみに、この時期の(汽車の)客車は三等級制(上等・中等・下等→一等・二等・三等)を採用しており、料金格差に対応して座席配置の構造に明確な差異が設定されていたことから、経済力とともに教育水準・読書力が高い社会的エリート層=上・中流階級の人々だけ(「一部の乗客」)が「快適な環境で車中読書を満喫できた」に過ぎなかった。乗客の圧倒的多数を占めた下等車では、そのような環境を望むべくもなかったのである。しかも照明設備が不十分であり、夜間の読書はほとんど困難だった。こうした状況が存在したことには、留意が必要だろう(しかし、そのような困難を抱える一方で、「新しい読書スタイル」(車中読書)を実践する乗客(車中読者)が急激に増加していったことは間違いない)。

 

・車中読者の「車中読み物」とその「均質化」


 ここで気になるのは、かれら(車中読者)がいったいどのようなものを車中で読んだのか、ということである。

 

 それに回答すると、まず圧倒的だったのは①新聞である。また②雑誌(特に漫画雑誌)が、娯楽的な雑誌の普及や漫画的な風刺画を多用したビジュアルな雑誌の発達、駅での呼び売り形式の採用などによって、新聞に次ぐ地位を獲得していた。そのほかにも、紀行文や旅行案内、文庫本形式が明治20年代~30年代に発達することが知られ、特に③旅行案内は「必要品以上の必要品」として旅行生活に定着するようになった。

 

 そして、一連の「車中読み物」に関して興味深いのは、それらが「均質化」されていくことである。この「均質化」という現象は、読書にとっても車中読書にとっても重要なので、読書習慣の均質化とともに以下でそれを紹介する。


 まず「車中読み物」の「均質化」は、①新聞・②雑誌・③旅行案内などで進行していく。


 ①新聞は、(汽船の事例で見たように)「リテラシーの水準や階層によってさまざまに異な」り、大別して「大新聞」と「小新聞」に分化していた明治初期の状況から、「お互いの特徴を吸収し、相互に接近し」た「中新聞」が登場することで、「豊かな多様性を喪失し、乗客は相互に似た均質な新聞を読み始める」状況に変化した。そのことは「均質な文体で均質なニュースを報道する報道新聞を、一・二等車の乗客も三等車の乗客も同じように読み始め」ることを意味していた。


 ②雑誌も同様の状況だった。汽車や汽船のなかで「非常によく読まれていた」漫画雑誌は、「階層を越えて広く読まれるようになってきてい」た。(先に述べたような)車中読書の等級制にもかかわらず、「旅行という移動生活にあっては人々の読書内容は階層性が希薄化して、大衆的な読みやすいものへと画一化していく傾向が強かった」ようなのである。


 ③旅行案内に至っては、「階層を問わず、性別を問わず、年齢を問わず、すべての旅行者が同じような旅行を体験すべく」意図されているため、「人々の旅行体験の同質化を促すメディア」と化していた。


 ①~③の過程のすべてに看取されるのは、「車中読み物が多様性を徐々に喪失して、均質化の傾向を強めていく」傾向である。異なる階層の人々が「同じような」読み物を「同じように」読む光景が(旅行ブームとともに)全国に拡大していったのである。

 

・読書習慣の「均質化」

 

 しかし、「均質化」はこれだけではない。読書習慣もまた同様に「均質化」されていく。


 近代学校教育制度がまだ普及しない明治前期の時点で、リテラシーや読書習慣はそれぞれの「受けた教育階梯によって非常に多様性に富んでおり、個人間での読書習慣の差異はきわめて大きかった」。だからこそ、まったくバラバラの読書習慣を身に着けた不特定多数の読者が同じ汽車の車中に乗りあわせて読書を始めたとき、必然的に(「音読と黙読との対立」のような)読書習慣の衝突が発生することになるのだった。

 

 なお、注意を要するのは、現在のような「黙読」の普遍性が当時まだない点である。明治前期の日本列島では、むしろ「階層的差異や教育水準とは無関係」に「車中での音読という習慣がきわめて広く日常的に行われてい」てさえいた。


 だが、「さまざまなリテラシーを持つ不特定多数の人々が集まる場所」だった汽車や駅において、さまざまな読書習慣の衝突が「全国規模で限りなく繰り返されていった」結果は、「『黙って読む』読書習慣の勝利」だった。

 

 「音読に基づくきわめて雑多な多様性を特徴とする近世以前の読書から、黙読を基本とする近代的読書へと、人々の読書習慣が均質化され」た。それは読書習慣にせよ、車中読書習慣にせよ、同じ話である。 近代読書への移行は「決して直線的に進んだわけではなかった」が、次第に近代読書への均質化が進行していくのである。

 

 現在のわたしたちの読書スタイルにつながる契機は、ここにあったと言えるだろう。

 

 

「汽車中で盛んに音読されては溜(たま)つたものでない」(大阪毎日新聞社編『でたらめ』(東枝律書房、1899年)、146頁-147頁)(国立国会図書館デジタルコレクション)

 

 

・車中読書「誕生」の意味


 以上の通り、車中読み物と読書習慣はともに「均質化」されていったのである。そこに居たのは、「同じ活字メディアを同じように読む近代の均質化された読者」(車中読者)だった。

 

 このような現象は、車中読書が急速に拡大するなかで発生してきたものであるが、それを同時期の読書生活に与えた重要な影響として考えると、いくつか付加することができる。

 

 それはまず、①全国各地の駅の待合室・車中で人々が車中読者を大量に目撃することで、車中読者のイメージが全国的規模で再生産され、「可視化された読者公衆としての存在意義を有し始めた」ことである。そして、②車中が「本来は読書のための空間ではなく、読書という行為は任意の選択肢のひとつにすぎない」からこそ、そうした車中読者が「国民の読書レベルを可視的に表わす象徴としての意味を持つようになった」ことである。

 

 車中読者はもはや単なる「私的な読者」ではない。「日本国民が欧米人と同等の」「国民の読書レベルを可視的に表わす」「読者公衆」であること、つまりは「読書する国民」(読書国民)であることを自他に対して表わす、「可視化された読書国民」としての意味を持つようになったのである。


 したがって、「車中読書」の「本格的な誕生」とは、単に「車中で本を読む者」が登場することを意味するわけではない。まずそれは「車内で『同じような』本を『同じように』黙って読む者」(「同じ活字メディアを同じように読む近代の均質化された読者」)の登場であり、そして「日本国民が欧米人と同等の」「国民の読書レベルを可視的に表わす」「読者公衆」=「可視化された読書国民」の登場でもあった。

 

・まとめ 車中読書の誕生経緯


 「『車中読書』の誕生経緯」を改めて振り返れば、①人力車・②乗合馬車・③汽船における先駆的事例が見られた後に、明治20年代~30年代における鉄道網の全国的拡大(と近代ツーリズムの発達)によって乗客数が急速に増加することで、「車中読書」が本格的に誕生することになった、ということになる(それは「車中読者」についても同じことである)。

 

 そして、その急速な拡大の結果として、(等級制の存在にもかかわらず)車中読み物と読書習慣がともに「均質化」される現象が発生し、「同じ活字メディアを同じように読む近代の均質化された読者」・「可視化された読書国民」が登場することになるのである。

 

 なお、こうした「本格的な誕生」を理解するためには、旅行形態の変化や「『旅中無聊』の産業化」の動向も踏まえておかなければならないだろう。

 

3、おわりに 読後の雑感

・ある「不思議」な読書体験

 

 

「近代日本の活字メディアと読書文化は、明治三〇年代にひとつの重要な転回点を通過する。そして、その転回点を境として、読書文化は近世的読書の世界から近代活字メディアを基盤とする読書世界へと決定的に移行していく。」


永嶺重敏『読書国民の誕生』(講談社、2023年、初出2004年)、3頁

 

 

 正直に告白すれば、筆者がこの一節を読んだとき、特に何も感じていなかった。ただ単に、永嶺氏の『読書国民の誕生』はそういう趣旨の本なのだということを認識しただけだった。

 

 しかし、本稿で紹介した/依拠した「第三章 車中読者の誕生」の内容に差し掛かったとき、不思議な感慨に包まれたのである。なぜなら、筆者はまさに「車内で本を読んでいた」(「車中読書」をしていた)からである。

 

 自分自身の読書行為(車中読書)の誕生過程=歴史性を突き付けられながら、読書行為(車中読書)を継続することの不思議、それは何とも言えない感覚だった。「第三章 車中読者の誕生」を読んでいるときの筆者は、絶えず自分自身と向き合わざるを得なかった。


 当然のことながら、車中読書にせよ車中読者にせよ、(現在、現代社会に存在するありとあらゆるものと同じように)歴史的・社会的に構築されてきたものに過ぎない。その事実は、一応は理解しているつもりだった。

 

 だが、やはり「つもり」だった。まさに「いま・ここ」において「車中読書」を実践する乗客(「車中読者」)として、「車中読書」・「車中読者」が形成されてくる過程を「読む」という経験を経ることで、筆者はようやくその歴史的構築性を自覚することができたのである。自分自身の不明を恥じないわけにはいかなかった。


 しかし改めて繰り返せば、それは幻想的な体験だったのだ。筆者の内では、羞恥心よりもなおいっそう、不可思議なものへの陶酔のような感覚が覆っていた。

 

 『読書国民の誕生』における「車中読書」・「車中読者」のメタ化の過程と、「車中読書」・「車中読者」を実践する筆者におけるメタ化の過程という重層的なメタ化を一定期間(しかもメタ化の対象となる形式を通して)継続して経験する。こんなことがほかにあるだろうか。気づけば、グルグルと円環を為すような思考の渦に揉まれて筆者は夢中にこの本を「読んでいた」―「車中読書」していた―のである。


 読了するまでそれほどの時間は要さなかった。はじめはそれほど面白いと思えなかった―だからこそ、筆者は冒頭の一節を「特に何も感じ」ずに済ませてしまった―が、終わってみるとあっという間だった。

 

 永嶺氏は「通勤電車の車中で『想像の共同体』を読んでいると」、「時として一種奇妙な高揚感を感じることがある」と「あとがき」で述べているが(同書320頁-321頁)、筆者にしてみれば、その永嶺氏の『読書国民の誕生』を読んでいると、「時として不思議な感覚を感じることがある」ということになる。

 

 もちろん、永嶺氏の場合には、「例えば植民地バタヴィアヒエラルキー化された学校制度の中から、『インドネシア人』という華麗な蝶が生まれてくる箇所」でそう感じたのだから(同書321頁)、『読書国民の誕生』に即して言えば「読書国民」の誕生過程の方になるだろう(それゆえに、必ずしも「第三章 車中読者の誕生」の箇所が同次元の問題として該当するわけではない)。しかし、筆者からすれば間違いなく「不思議」な感覚をそこに覚えたのであり、だからこそ、それを体験としてこのように記し置いているのである。

 

・車中読書/車中読者の今昔と「隔世の感」


 翻って昨今、「車中読書」も「車中読者」も珍しくなってしまっている。以下のように永嶺氏が述べる通り、新聞・雑誌はおろか書籍ですら読む者は見かけなくなってしまった。筆者はひとりの車中読書を実践する車中読者として、隔世の感を感じざるを得ない。

 

 しかし、それはノスタルジアではない。

 

 

「現在の日本社会においては電子化とネット化の急速な進行によって、「紙の本」の存在基盤が揺らぎ始めるという事態が起きている。さらに、スマートフォンが人々の日常生活に深く浸透し、電車内でも乗客はみなスマホを見るようになり、その結果、最近では電車内で紙の本や新聞・雑誌を読む乗客はほとんど見かけなくなった。本書で取り上げたような車中読書の光景はいつの間にか消え去ってしまっているのが現状である。

 このように、現在の私たちはメディアと読書の大きな変動の渦中にあるが、明治以降の活字メディアと読書の歴史そのものが絶えざる変動の歴史であった。明治期の読書国民の誕生から大正・昭和初期の大衆読者の登場、さらには戦時下の「国民読書運動」といった国策による読書指導に至るまで、近代日本の読書文化は社会や政治の動きとともに大きく変動してきている。現在進行中の電子化とネット化、さらにはAI化の波が私たちの読書生活をどのように変えていくのか、そのゆくえを今後とも見守っていきたい。」


永嶺重敏『読書国民の誕生』(講談社、2023年、初出2004年)、325頁

 

 

 「現在の私たちはメディアと読書の大きな変動の渦中にあるが」、そもそも「明治以降の活字メディアと読書の歴史そのものが絶えざる変動の歴史」だった。時代は移ろいやすく、それは必然的趨勢である。「近代日本の読書文化は社会や政治の動きとともに大きく変動してき」たことは認めなければならない。「隔世の感」とは、常に時代の必然である。ある時点から見れば、社会は必ず変動するのだから、「世界が隔たってしまった」ような感覚になるのは当然すぎるほどに当然だと言えるだろう。しかし、筆者が言うところの「隔世の感」とはそういうことではない(だからこそ、「ノスタルジア」ではないのである)。

 

 わたしたちが今後取るべき態度のひとつには、「現在進行中の電子化とネット化、さらにはAI化の波が私たちの読書生活をどのように変えていくのか、そのゆくえを今後とも見守っていきたい」というものがあるだろう。それは非常に重要な態度である。しかし、それ以上に求められているのは、(筆者が『読書国民の誕生』の車中読書行為を通して経験したように)自分自身や自分自身の行為そのものを歴史的に対象化するような態度ではないだろうか。

 

 真に未来の展望を見据えていくためには、過去から現在への系譜を踏まえなければならない。過去から現在へ、そして現在から未来へ、である。もしそうしなければ、頼るところもなくただあてもなく時流の大波に左右されるばかりになってしまうだろう。過去を踏まえないものは、未来の展望のための指針を見失う。そして、現在のための指針も喪失することになるのである。ここで引用するのはお門違いかもしれないが。リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー氏が「いやしくもあの過去に対して眼を閉ざす者は、結局は現在に対しても盲目となります」*3と述べたのはこのような意味でも正しいと思われる。

 

 したがって、「いま・ここ」にある自己が依拠するべきなのは、未来や現在のための「指針」となりうる「過去から現在への系譜」なのである。それらを理解し踏まえるために必要なのは、「自分自身や自分自身の行為そのものを歴史的に対象化する態度」にほかならない。

 

 もちろん、そんなことは並大抵にはできない。大変困難なことである。そもそも「歴史的に対象化する態度」とは、人間が必然的に少なからず持っている自分自身のバイアスを相対化しながら、むき出しの自分自身を見つめることを意味する。無理に実践する必要はないにせよ、目をそむけたくなるようなものもそこにはあるだろうし、かなりのストレスや負担がかかることも予想される。

 

 しかも、現在の自己へと続くか細いながら長大に及ぶ過去の系譜はたいてい紆余曲折であり、それ自体を踏まえたところでそのまま「役に立つ」ことはない。どころか、現在の自己やそれを取りまく環境の絶対性を突き崩されて、移ろいゆく世の中に存在する自分自身の立場が途端に不安定なものに感じることだろう。「行き当たりばったり」の系譜を見ても、「行き当たりばったり」の未来しか考えられないということになりかねない。

 

 しかし、それは悪いことばかりではない。時代の大波に流されることはいつの時代も変わらないのである。行き先のわからない情勢に不安になることもまた変わらない。わたしたちは究極的には「行き当たりばったり」である。だが、何もわからないままに「行き当たりばったり」になるよりも、過去の「行き当たりばったり」を踏まえたうえで「行き当たりばったり」になった方が「指針」があるだけ安心できる。それに、歴史は急激に変わることもあるが、社会的にも文化的にも慣性のようなものが働いているから、ある程度の社会的制度は(変化を経ながらも)存続することになる。そこに「指針」としての「過去から現在への系譜」があれば、決して慣性的状況を絶対化することなく、広い視野で有意義に将来を展望することが可能になるのではないだろうか。

 

 そのようななかで(時代の趨勢である)「現在と過去との隔たり」の存在は、ノスタルジアの起源としてではなく、有意義な「指針」として活かされていくことになるだろう。そこにおいて、起源となる過去から何と遠くに来たものだろうかという感慨(「隔世の感」)は、ただの感傷というよりも、「自分自身や自分自身の行為そのものを歴史的に対象化する態度」の先に現れた「指針」としての「過去から現在への系譜」への安堵感と寂寥感のないまぜになった状態にある。

 

 筆者は、こうした意味における「隔世の感」こそ、現代社会のわたしたちに必要不可欠なものだと思うし、行き先のわからない未来の展望のために本当に要請されることでもあるのだろうと考えている。

 

 もちろん、そんなことは筆者の「読後の雑感」であって、適当かどうかなどわかりはしないのだが。

 

4、参考文献

参考文献

永嶺重敏『読書国民の誕生』(講談社講談社学術文庫〉、2023年、初出2004年)

 

5、画像引用元

画像引用元

講談社BOOK倶楽部「読書国民の誕生 近代日本の活字メディアと読書文化」(https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000384080(2024年2月1日閲覧))

大阪毎日新聞社編『でたらめ』(東枝律書房、1899年)(https://dl.ndl.go.jp/pid/899487/1/79国立国会図書館オンライン、2024年2月1日閲覧))

*1:

なお、永嶺氏の議論を紹介したネット上の記事・ブログなどとしては、紀田順一郎「『“読書国民”の誕生―明治30年代の活字メディアと読書文化』(日本エディタースクール出版部)」(ALL REVIEWS、2017年10月16日、初出2004年6月13日)(https://allreviews.jp/review/1513(2024年2月1日閲覧))・オノアキヒコ「汽車と読書と近代化  永嶺重敏『〈読書国民〉の誕生』」(note、2022年2月20日)(https://note.com/akihiko_ono/n/neec97e2b3070(2024年2月1日閲覧))・本ノ猪「車中読者」(note、2024年1月15日)(https://note.com/honnoinosisi555/n/na8756b5ade9f(2024年2月1日閲覧))などが既に存在している。

*2:

 車中読書の誕生には、旅行形態の変化が関わっている。「近代以前にあっては、旅行は自らの脚でひらすら歩くことを意味していた」が、近代の旅行はそうではない。交通機関を利用するから、自らの脚を使って(徒歩で)歩くことを止めることになるのである。そこには、必然的に本来存在しなかったはずの退屈(「旅中無聊」)や暇つぶしが入り込む余地が生まれることになる。そして、鉄道幹線網が全国的に拡大することで「旅中無聊」は「大量生産」される。

 

 そう、その「大量生産」された「旅中無聊」を「解消する最も代表的な手段として脚光を浴びるようになってきた」ものこそ、読書(車中読書)だったのである。


 なお、そうした車中読書と密接な関係を持つ旅行の読書市場と読書装置には、「『旅中無聊』の産業化」という現象が影響している。以下、その点について補足しておこう。

 

 そもそも「『旅中無聊』の産業化」は、「無聊解消のための読書への需要の増大」を背景としている。読書受容の増大は、結果として「旅行者に読み物を提供するためのさまざまな社会的装置」=「〈旅行読書装置〉」の発達を促進し、①駅の構内や周辺部、汽車の車中といった鉄道経路、②ホテルや旅館などの宿泊施設での読み物の提供サービスが普及していくことになる。

 

 たとえば、①ならば、駅売店・車窓販売・駅の新聞縦覧所(※一般化せず)・駅待合室・鉄道旅客貸本合資会社(※失敗)・列車図書室・車中販売(※大半は無許可)などを、②ならば、ホテル図書室などを、それぞれ挙げられる。なお、温泉地や海水浴地などの避暑地でも〈旅行読書装置〉が発達したことが知られる。


 一連の事例は、「旅行ブームによって喚起されてきた読書への需要の増大を新たなビジネスチャンスとしてとらえ、『旅中無聊』を積極的に産業化していこうとする試み」だと言うことができる。つまりは、「『旅中無聊』の産業化」(の試み)である。それらは、いずれも「旅行の結節点」において「旅行者のためにさまざまな読書装置が形成されていく過程」であり、鉄道乗客数の飛躍的増大という市場規模の拡大に対応した、旅行読書市場の「ひとつの新たな読書産業」としての成長の過程である。


 こうした動向は、「駅売店や鉄道資本と言った出版流通業者による商業的性格のもの」と、「列車図書室やホテル図書室のような」「旅行関係業者」による「非商業的性格のもの」に大別される。特徴的なのは、戦後にはほとんど消滅した後者に見られるように、「旅行者への読書サービスの提供が現在のように商業的原理のみではなく、鉄道会社やホテル会社といった旅行関係業者が積極的に負担すべき公益的なものと考えられていた」ことだろう。

 

 結局のところ、旅行の読書市場と読書装置とは、「国や官側からの制度的育成策を受けることなく」、「むしろ出版資本主義的な需要と供給によって自由競争的に生み出されてきたものであった」のである。後で見るように、こうした事情は車中読書の誕生(本格的な誕生)と同じパターンである。そこでは、「新旧さまざまな読書習慣が自由放任的に混在しており」、「そのるつぼの中から自生的に、黙読を基盤とする近代的読書習慣を身につけた読者が形成されてくる」。

 

 車中読書の誕生(本格的な誕生)の経緯を眺めるとき、このような「『旅中無聊』の産業化」についても踏まえておく必要があるのである。

*3:

リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー『過去の克服・二つの戦後』(山本勉訳、NHK 出版〈NHKブックス〉、1994 年、初出)、27頁