- 1、はじめに ゆゆゆにおける「戦死」と郡千景
- 2、高知県某村落という「ムラ社会」 ―神世紀移行期地域社会の構造分析―
- 3、神世紀移行期四国社会という「ムラ社会」 ―「ムラ社会」構造の同型性―
- 4、神世紀移行期「現代社会」という「ムラ社会」 ―「世間」・「空気」・「世論」と日本型「大衆社会」―
- 5、補論 「カリスマ的支配」の体現者としての乃木若葉
- 6、おわりに 「ムラ社会」の残影 ―神世紀移行期「現代社会」の彼方へ―
- 7、末筆の反省その他
- 8、書いてみた感想
- 9、研究資料および参考文献
- 10、画像引用元
1、はじめに ゆゆゆにおける「戦死」と郡千景
・「ポストまどマギ」作品における「死亡」モチーフとゆゆゆの「魅力」
『結城友奈は勇者である -結城友奈の章-』をはじめとした「勇者である」シリーズ(以下、「ゆゆゆ」)において、「死者」というものは意外なほどに少ない。
ゆゆゆを含めた、いわゆる「ポストまどマギ」作品の系譜を見たとき、これは例外的な現象だと言えるように思われる。それらの作品においては、おおよそ「魔法少女」ないしは「魔法少女」に準ずる存在に変身した少女たちが軒並み死亡している―しかも、その多くは陰惨な方法で同じ魔法少女のために殺害されている―のである。2010年代の日本アニメでは、(鹿目まどか・暁美ほむらを除いた主要な「魔法少女」たちが死亡することになった)『魔法少女まどか☆マギカ』(2011年)[1]以降、「ダーク魔法少女」ジャンルと呼ぶべきひとつの系譜―「ポストまどマギ」作品の系譜―が生起することになった。一連の「死亡」モチーフとは、一連の「ダーク魔法少女」ジャンルの、まさしく「典型的」なパターンである。
しかし、石岡良治氏が以下に指摘するように、まさにそのような「パターン」であるがゆえに、一部の例外を除いて「成功」したとは言い難いものとなったのである[2]。
「『魔法少女まどか☆マギカ』は、「ダーク魔法少女」ジャンルを生み出しました。このジャンルは、その後も『WIXOSS』のような成功例を出してこそいますが、しかしたいていの作品はデスゲームものと結びついてB級化してしまう傾向にあった。『魔法少女育成計画』(2016)や『魔法少女サイト』(2018)などですね。」
そうすると、2010年代前半~2020年代前半の期間において、3回のアニメ化や(外伝作品を含めた)数回の書籍化・漫画化・ゲーム化を経験するのみならず、多数の公式・非公式イベントや聖地巡礼が未だに盛んなゆゆゆは、『WIXOSS』以下の、「例外」的な「成功」の事例に含めてもよいだろう。
石岡氏の指摘に依拠すれば、「デスゲームものと結びつい」た「B級化」こそ、「ダーク魔法少女」ジャンルの「成功」と「失敗」の明暗をわけたものなのだろう。ゆゆゆの場合で言えば、「死ななければならない」「典型的」なパターン(「死亡」モチーフ)を逆転させ、「いかなる時も生き」なければならない(1期OP「ホシトハナ」の歌詞)というモチーフを採用したことが、「B級化」を回避することにつながり、そして作品の魅力にもつながったのである。
ゆゆゆにおいて、「死亡」の代わりに強調されているのは、「散華」である。(往々にして「英霊」と呼称される)アジア・太平洋戦争における日本軍兵士を中心とした犠牲を彷彿させる呼称には、明白にネガティブな「戦死」イメージの陰影が付きまとうが、この場合も例外ではない。
「神に選ばれ」た「無垢な少女達」(2期1話の乃木園子)=四国地方の少女たちは、基本的に「勇者システム」によって「勇者」へと「変身」し、「バーテックス」という外敵との戦闘を強制される。そして、戦闘過程で溜まった「満開ゲージ」が満タンになると、彼女たちは「満開」する―身体機能を供物として「神樹様」という神に捧げることで、強力な力を獲得する―ことができるのである。この、「満開」の代償としての身体機能喪失こそ、「散華」と呼ばれるものである。
したがって、「勇者」≒「魔法少女」たちは決して死ぬことはないのだが、神樹館小学校時代(先代勇者時代)の乃木園子に象徴的なように、身体機能の大半を供出させられながら戦闘を継続しなければならない状況にさえ、追い込まれることになるのである。ゆゆゆの魅力とは、繰り返せば、「死亡」することは決してありえないものの、「いかなる時も生き」なければならないというジレンマに求められるだろう。
・ゆゆゆにおける「死者」/「死亡」の存在
だが、ゆゆゆのそのような「魅力」に関して注意しなければならないのは、実のところ「死者」の存在である。
神世紀300年の『結城友奈は勇者である -結城友奈の章-』において、(「勇者」の)「死者」は存在しなかったが、神世紀298年の『結城友奈は勇者である -鷲尾須美の章-』=『鷲尾須美は勇者である』において、三ノ輪銀は「死者」となった。神世紀移行期(※)の『結城友奈は勇者である -大満開の章-』5話~8話=『乃木若葉は勇者である』では、過半数が「死者」となった(※少なくとも「勇者」任務中の「死亡」ではない乃木若葉は含めていない)。ゆゆゆ全体を通して、「死者」(※ただし、「戦死者」に限定する)と「生者」の総数と割合を計算してみると、以下のようになる(※下図は事実誤認があったため、2024年6月19日に修正版に差し替えた)。
(※「神世紀移行期」……筆者が過去のブログ記事で提起した西暦2010年代後半(西暦最末期)~神世紀20年代頃(神世紀最初期)の時期を指す独自の時代区分呼称。「7・30天災」以降に繰り広げられた四国地方の勇者たち(人類)とバーテックスとの戦争やその直接的余波が継続した時期を表現するために使用している。)
つまり、全体として見れば、「生者」に比して決して無視できない「死者」の多さが判明するのであり、神世紀移行期に限って言えば、むしろ「死者」の方が圧倒的に目立つ結果となっているのである。
しかし、それは特段驚くべきことではない。ゆゆゆの作品構造として、その中核となるのは、神世紀300年~301年における、勇者たちと「人類の敵」・バーテックスおよび(バーテックスを派遣する)「天の神」という神々との戦闘の物語であり、その勝利に至る物語である(『結城友奈は勇者である -大満開の章-』はその象徴的事例である)。だからこそ、その時点での勇者たち(の「生存」)が作品の中心点に該当することとなり、それ以前の三ノ輪銀の「死亡」や神世紀移行期における「西暦勇者」たちの「死亡」は、前者を強調する(際立たせる)意味において存在すると理解することができるのである。
それは「勇者システム」という点でも理解できる。そもそも彼女たちの依拠した「勇者システム」は、当初、「死亡」が十分想定できるものだった(そのため、多数の「死者」が出たのである)。しかし、勇者たちを管理する大赦の長期間にわたる改良措置を経ることで、次第に「生存」を絶対的に確保できる段階へと発展していくことになる。その最終的到達点=完成型こそ、(『結城友奈は勇者である -勇者の章-』において、無害化する方向での改良が実施されたとはいえ)『結城友奈は勇者である -結城友奈の章-』で登場した「生存」を強制する「勇者システム」にほかならない。この「最終的到達点」の存在を考えてみれば、おのずとそれ以前の「勇者システム」が、「最終的到達点」のそれを強調する(際立たせる)意味で存在していると把握することも不可能ではなくなる。
そうすると、ゆゆゆの「魅力」とは、確かに極限状態に置かれた「生者」としての勇者たち(「生存」を強制された勇者たち)の性格に求められるものだが、とはいえ、その「生者」の焦点化の過程においては、前述の多数に及ぶ「死者」の存在がかなり重要な位置を占めていることが理解されるだろう。すなわち、(過去に)膨大な「死者」=勇者が存在したことの裏返しとして、あるいは(過去に)「死者」を生み出す「勇者システム」が存在したことの裏返しとして、(現在の)「生者」としての勇者たちが相対的に浮かび上がってくるのである(作品全体を通して、「生者」と「死者」の割合が絶妙なバランスを維持しているのも、そうした事情を統計的に裏付けるものだと言えるだろう)。
したがって、ゆゆゆの「魅力」の源(のひとつ)をより正確に表現するとすれば、「過去の「死者」の存在とのコントラストのなかで浮かび上がる、勇者=「生者」たちの極限状態に置かれながら「生存」を強制される様子」なのと言える。
・「例外的な死者」としての郡千景
しかし、そこにはひとつの釈然としない問題が存在する。なぜなら、「生者」を焦点化させる「死者」たちの系譜には、ひとりの「例外」と呼ぶべき存在があるからである。
それは、西暦勇者のひとり、郡千景のことである。
彼女は、「狂気」や「嫉妬」の末に、(バーテックスとの戦闘の最中に)同じ勇者の乃木若葉を殺害しようとするものの、「神樹様」によって勇者システムの使用権限を剥奪され変身を強制的に解除されることになる。そして、殺害しようとしたにもかかわらず自身のことを守ろうとする若葉の姿勢を目の当たりにして、暴走してしまった「自分の心の弱さ」に気付き、「無防備な生身のまま」危機に陥った若葉をかばいバーテックスの攻撃をまともに食らって死ぬことになった[3]。
つまり、それは勇者システムを使用してバーテックスと戦闘する最中の「戦死」ではないのである。勇者システムを使用しないで(できないで)危機に陥った同輩を庇ったうえでの「戦死」である。
いったい、この「例外」的戦死はどのようにして生じてきたのだろうか。直接的には、同じ勇者だった伊予島杏・土居球子の壮絶な戦死や(勇者の身体そのものに直接精霊を取り込んで一時的に精霊の戦闘能力を発揮可能にするシステムのため、精神的負担=副作用[4]が生起するという)戦闘形態の性格、「神樹様」の超越的介入による勇者システムの停止、勇者管理体制の不備[5]、若葉の危機などに基づくものだが、それは本質的な原因とは言えない[6]。「自分の心の弱さ」も直接的要因として想定できなくはないだろうが、後述する当時彼女が置かれた状況に鑑みれば、それを言い募ることそれ自体があまりにも酷だと言わなければならないし、社会的存在としての人間の性格を無視して、主観的超越性によってすべてを解決できるという精神主義的万能論などで、「強い心」の欠如を問題化するような態度は傲慢過ぎるにもほどがある。
戦死の実際の背景としては、むしろ彼女を「狂気」と「嫉妬」へと駆り立てた客観的要因、すなわち社会的要因の方に注目しなければならない。彼女に体現された社会的要因とは、端的には社会的矛盾のことである。そうした社会的矛盾の象徴的=集中的表現として、「戦死」という事態は把握されるべきなのである。
それゆえに、個別具体的な要因は確かに重要なのかもしれないが、それらは必ずしも適当とは言えない。なぜならそれらに関する叙述とは、結局のところ、歴代勇者間における「勇気のバトン」の連鎖というような「勇者史」的なパラダイム=神話的英雄譚へと回収されざるを得ないからである。それは神世紀の歴史を真に体現するものとは言えない。既に筆者が指摘したように、そもそも純粋な「勇気のバトン」の連鎖さえ、勇者御記の検閲によって牧歌的・楽観的な見通しが到底成り立たない状況に追い込まれていることは明白である[7]。
・郡千景「戦死」の社会的要因
筆者に求められているのは、「例外」的戦死の社会的要因を分析することを通して、郡千景というひとりの少女に体現された神世紀四国社会の諸矛盾の客観的実態に迫ることである。そして、「間接的に千景の落命につながったこともあり、神世紀での勇者システムでは、この変身解除機能はなくなっている」ことを踏まえれば[8]、その戦死の「例外」性なるものが実際には「生存」を強制する勇者システムの性格によって糊塗されているだけで、その後の四国社会でも状況次第では起こり得た可能性を示唆している。それは社会的要因においても同様であり、もし一定の普遍性があるのであれば、「モラル」が向上した神世紀というユートピア的な理想郷像にも変更を迫ることになるだろう。
それでは、その社会的要因とは具体的にどのようなものがあるのだろうか。その要因を大まかに整理して提示するとすれば、①郡一家の家庭崩壊・②千景の故郷・高知県某村落における壮絶な地域ぐるみの被暴力=「いじめ」体験・③マスメディア・インターネットを媒介とした反勇者的世論、の3点に集約できるだろう。
・「家庭崩壊」に関する補足
このうち、①家庭崩壊に関しては、もともと「不仲な両親のもとで愛を向けられず育った」ために「他人から認められたいと強く願う」気持ちを持つようになったこと、戦死前後の段階には既に「父親はアルコールに依存」し「母親は不倫の末に精神病[9]にかかり寝たきり」になったこと、③(総体として)「家の内面も外面も崩壊している状態」にあったこと、という3点の重要な事実を指摘できる[10]。つまり、10代前半の少女である彼女にとっては一切安心できない家庭環境になっていたことがうかがえるのである。そして、両親にさえ「厄介者扱い」されたことは、彼女に「自分の価値を見失」わせ「自分の居場所と価値を作ってくれた超常的な勇者の力に依存し、固執してしまうようになる」ことにもつながった[11]。それらの家庭崩壊の影響は極めて大きいと言えるだろう。
しかし、「家庭崩壊」という現象を郡千景とその両親のみによって構成される「家庭」の「崩壊」として分析するとすれば、そこから有意義な議論は何も生まれることがないだろう。
既にフィリップ・アリエス氏によって「子供」の、エリザベート・バダンテール氏によって「母性」の、小山静子氏によって「良妻賢母」の、歴史的構築性がそれぞれ解明されたように、そもそも「家族」や「家庭」にも絶対的普遍性は存在しない。
たとえば、「どんなに貧しくても自分たちの家族が一番である」・「家庭はみな仲がいいはずだ」というような「家族の親密性にかかわる規範」=「家庭イデオロギー」は根深いものがあるが、そうした規範=イデオロギーは近代になって形成されたものに過ぎない[12]。また、「わたしたちが『これが当たり前の家族だ』と思っている家族」についても、「けっして当たり前なわけではな」い。落合恵美子氏が指摘したように、現在当然視=常識化されているような日本の家族のあり方は、①女性の主婦化・②再生産平等主義=少子化・少産化・③人口学的移行期世代が担い手の3点を特徴とする「家族の戦後体制」の所産であって、それは欧米諸国で見られた「二〇世紀近代家族」の日本版と呼ぶべきものである。「まったく世界共通に起きた、家族の一般的な近代化という変化の一つの事例にすぎない」のだから、それを自明視することは不可能である[13][14]。
郡一家のあり方を単純に「異例・異常」あるいは「逸脱」とするのは大いに結構だが、そこで前提とされている「家族」・「家庭」のあり方は決して「当たり前」ではないのである。そのような観点において、「家庭崩壊」は論じなければならない。
「崩壊」に関しても、あれこれ言うことができるだろうが、そもそも「『家族』という集団が独力で子どもを育てたことなど、いつの時代にもなかった」し、「子どもはいつも、近所のおばさんや親戚のおじさん、遊び仲間や学校など、さまざまな種類のネットワークの中で成長してき」たのである[15]。
翻って郡一家の場合は、恋愛結婚だったものの「親族には結婚を反対されていた」こと、親族の援助を得られないまま両親のみで「安く小さな家を借りて二人だけで暮らし始めた」こと、父親の性格が「無邪気な子供がそのまま大人になったような性格で、夫や父親としては問題のある人物だった」こと(「自分の自由を優先する反面、家事や育児を面倒くさがり、家族への思いやりに欠けた」こと)、「家族に確執ができてい」き「母の不倫が発覚した」ために「醜聞」が「たちまち周囲に知れ渡」り「村の中での立場」が「非常に悪くなった」こと、「千景をどちらが引き取るか、話し合いがつか」ず「離婚をしなかった」こと、という5点が特徴として挙げられる[16]。
両親(特に父親)の個人的要因に起因する問題が多いように思われるが、そもそも親族や地域から孤立気味だったところに個人的要因が追い打ちを掛けたと見るべきであり、社会政策や地域社会の問題として把握すべきものである。それを一元的に郡一家の責任とするのは、過誤があると言わなければならない。もちろん、両親の責任を完全に免責しているわけではないし、筆者も極めて重大な責任を負っていると考えている。と言っても「崩壊」していると言えばそうなのだが、その「崩壊」は社会的現象だという視点を抜かしてその家族特有の現象として考えるのは見落としがあるだろう。
したがって、この、郡一家の「家庭崩壊」という現象については、「家庭」・「家族」の歴史的構築性の問題や「崩壊」に関する社会的要因などの文脈において把握されなければならないのである。だからこそ、筆者はこれを「社会的要因」として掲出したわけである。
しかしながら以上で述べてきた問題を、郡千景の「「狂気」と「嫉妬」へと駆り立てた社会的要因」として分析するとき、極めて残念なことに、国家的および社会的に展開できるほどの材料がゆゆゆには少なく、またその少ない材料をもとに議論を展開する蓄積が筆者にはないため、本コラムでは割愛せざるを得ない。
特に、「未成年の千景が家族とともに暮らすのは自然なことであり、心身の健全な育成のために有効」だとする大社(神世紀移行期の大赦の呼称)の姿勢[17]などは、「郡の実家に対する大社の認識」が甘かったことの象徴だろうが[18]、地球上で四国地方のみとなった人類唯一の政府に強大な影響力を発揮する大社の認識として、そのような認識があるとするならば、一種の「保守的」家族観をそこに読み取ることもできる。そして、『結城友奈は勇者である -鷲尾須美の章-』において典型的な「保守的」家族観をはじめとする種々の「保守的」言説群にも鑑みれば、(おそらく意図的な作為のように思われるが)ゆゆゆそのものに胚胎する注目すべき性格として研究の余地があるはずである。そして、それらがもし正しいとするならば、2010年代の日本列島において発生した「国家が家族の望ましい姿を強固に定め、直接的に人々の行動を変容させようとする」「異例・異常な事態」[19]との関連性において論及することも不可能ではないだろう。だが、誠に悲しいことに筆者にはその余裕がないため、今後の課題とせざるを得ない。
・本コラムの立場と内容
そのため、本コラムにおいては、①郡一家の家庭崩壊という要因を取り上げることなく、「「醜聞」が「たちまち周囲に知れ渡」り「村の中での立場」が「非常に悪くなった」」という「村」の性格のみを抽出して、②千景の故郷・高知県某村落における壮絶な地域ぐるみの被暴力=「いじめ」体験と関連づけながら(セットで)「村」の問題として考えることとしたい。
以下、本コラムは、「過去の「死者」の存在とのコントラストのなかで浮かび上がる、勇者=「生者」たちの極限状態に置かれながら「生存」を強制される様子」を魅力の源とするゆゆゆのなかで、勇者システムを使用していない「例外」的な戦死の事例として挙げられる郡千景を対象に、その戦死を神世紀移行期の社会的矛盾の象徴的=集中的表現として捉えたうえで、その社会的要因(すなわち、「狂気」と「嫉妬」へと駆り立てた社会的要因)=社会的矛盾の客観的実態を考察するものである。それは、②および③の「社会的要因」を、ひとつには「村」(高知県某村落)=地域社会の問題として、もうひとつには四国社会の問題(=マスメディア・インターネットを媒介とした世論の暴走)として、それぞれ把握することを通して行われる。そして、いずれにおいても「ムラ社会」構造という共通性が見られる点を解明するとともに、最終的には(その後の展開も視野に入れながら)神世紀移行期「現代社会」それ自体の構造的性格として「ムラ社会」が存在し、それによって「戦死」が導出されたことに言及したい。
2、高知県某村落という「ムラ社会」 ―神世紀移行期地域社会の構造分析―
ここでは、戦死の社会的要因=彼女に体現された社会的矛盾のうち、彼女の故郷である高知県某村落[20]=地域社会の問題について取り上げたい。既に軽く触れたように、それは「②千景の故郷・高知県某村落における壮絶な地域ぐるみの被暴力=「いじめ」体験」の根本原因として浮上したものである。本項は、まず彼女の壮絶な体験を具体的に(アニメ版や小説版の描写などをもとにして)整理していった後で、それを地域社会の構造との関連のなかで論じていきたい。
・小学生時代の「いじめ」=被暴力体験
そもそも、彼女の体験は2段階に分割できる。第一には、小学生時代の「いじめ」=被暴力体験であり、第二には、勇者時代に再発した被暴力体験である。
小学生時代の「いじめ」=被暴力体験の方は、郡一家における「家庭崩壊」状態に見られるような彼女への虐待と、某村落という地域社会ぐるみの精神的・物理的な暴力行使の2種がある。後者については、「大人たち」の蔑視・嘲笑・嫌悪などの精神的暴力と、小学校の同級生児童による物理的暴力、および学校教員を含めた地域社会の暴力行使の黙認、という3種にさらに分類できる。
それは、彼女の巫女・花本美佳が指摘するように、「彼女が生まれ育った環境は、吐き気を催すほどひどいものだった」のであり、端的に「地獄」である。
「彼女が生まれ育った環境は、吐き気を催すほどひどいものだった。
父親は子供がそのまま大人になってしまったようなクズで、家族を蔑ろにした。母親は不倫し、娘を捨てた。そんな家庭の状況を知った周囲の大人たちは、郡様を蔑み、嘲笑し、忌み嫌った。学校ではひどいイジメを受け、心身ともに虐げられていた。
地獄だ。」
朱白あおい著『結城友奈は勇者である 勇者史外典』上(タカヒロ企画原案・監修、BUNBUNイラスト、Project2H原作、KADOKAWA、2021年)、36頁
既に見たように、彼女の家庭は「崩壊」していて安心できない状況にあった。そもそも両親が彼女に「承認」や「愛情」を付与することはなかったのである。この時期の少女にとってもっとも身近な存在であるはずの家族=両親から「承認」や「愛情」を与えられることなく、しかも「厄介者扱い」すらされたということは致命的だと言わざるを得ない。そして、そのタイミングで、「家族に確執ができてい」き「母の不倫が発覚した」ために、その「醜聞」が「たちまち周囲に知れ渡」り「村の中での立場」が「非常に悪くなった」のである[21]。
「外を歩いている時」は「陰口が絶えなかった」し、「学校にいる時」は「蔑まれ虐げられた」[22]。学校も地域も「地獄」だった。彼女にとって信頼・信用に足るものはひとりもいない。生活圏のすべてが彼女を否定的に評価して、孤独・孤立に追い込み、暴力を行使してきていた。「両親からは疎まれ、村の住人からは蔑まれ、学校では虐げられる生活が続いた」。彼女が「無知価値で疎ましいだけの子なんだ」と思ってしまうのは、当然の理だろう[23]。
「この学校には嫌な思い出ばかりがある。
校内で味方はいなかった。いつも一人、自分の席で俯いて過ごしていた。
クラスメイトたちは千景を『阿婆擦れの子』『淫乱女』と呼んだ。恐らく言葉の意味も分かっていないのに。
職員室に入ると、教師たちの『あの親の子じゃロクな大人にならない』という嘲りが聞こえた。
毎日のように持ち物がなくなった。
女子に囲まれて着ていた服を脱がされ、焼却炉で燃やされた。
ハサミで髪を切られ、その時一緒に耳まで傷つけられた。
遊びと称して階段から突き落とされた。」
朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』上(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2016年)、73頁
そんな状況のなかで、唯一頼れるものを挙げられるとすれば、内攻した先で最後にたどり着く自分自身=自己だが、既に否定的評価を付与され続け家庭にも学校にも居場所がない少女には、いったいそんな自己の何に頼ればよいのだろうか。「千景が自分の心を守る方法は、ひたすら内に閉じこもることだけだった」。つまり、自己とその限られた周囲の空間へと内向するという行為によって、彼女は事態を「打開」しようとした。
「そのための方法の一つが、ゲームに熱中すること」である(彼女の「たった一つの趣味」がゲームなのは[24]、頼れそうなものがそれ以外なかったからである)。「画面に集中し、イヤホンで耳を塞いでしまえば、周囲のすべてを自分から切り離すことができる」。「そうすれば、罵倒の声も虐げられる痛みも、千景には届かない」。こういう発想のもと、「何も聞こえない。何も感じない。何も痛くない。」と見なして「ゲームに没頭し、ただ時間が過ぎ去るのを待」ちながら、「自分は無価値な存在だから、人に傷つけられるのも仕方ないのだ」と耐え忍ぶ[25]。
もちろん、「痛くないわけ……ない……!」。「昔クラスメイトにハサミで切られた箇所がじくじくと痛」むように、「どんなにゲームに没頭しても、蔑みの声は聞こえる」し「悪意は伝わる」し「痛みは感じる」。「彼女は、ずっと独りで傷ついてきた」わけである[26]。
バーテックス襲来の日に勇者としての力が発現したことで、一連の「地獄」から解放されるが[27]、裏を返せばそれまでの長期間にわたり彼女は「地獄」のような日々を過ごしてきたことになる。多層的暴力行使の日常的被暴力体験は、まさしく「壮絶な体験」だとしか言いようもないものである。彼女が「もう一秒でも故郷には居たくない」[28]とする心情は、ごくごく自然なものだろう。
・勇者時代に再発した被暴力体験
だが、それは「再発」することになる。第二の体験、すなわち勇者時代に再発した被暴力体験である。
勇者となったことで「地獄」から解放された彼女は、基本的に香川県丸亀市内に居たから高知県の実家や実家のある某村落に帰省することはない。しかし、彼女は勇者となった後でも2回帰省している。
1回目は、「家の前に人だかりができて」おり、「彼女を取り囲ん」で彼女に「一様に興奮と尊敬の眼差しを向けてい」る状況だったので、問題とはならなかった。そこには、「かつて彼女の担任だった女性教師」や「千景を虐げた昔のクラスメイト」、「かつて千景を尻軽女の娘と蔑んだ商店街の店主たち」、「薄気味悪い子だと千景の悪口を言っていた近所の主婦たち」に、「千景に栄誉賞を与えるから、授与する場面を地域誌とホームページに掲載させてほしいと頼」む「市長を名乗る男」まで居た。「かつて千景を傷つけていた人間が、彼女に媚びへつら」い、「以前は千景など路傍の石とすら思わなかっただろう大人が、彼女に両手を揉み合わせている」状況だったのである[29]。
そして、彼女は「勇者様」だからこそ「価値のある存在」として承認され、人々は「誰もが勇者である千景を称賛してい」た[30]。彼女が「自分の居場所と価値を作ってくれた超常的な勇者の力に依存し、固執してしまうようになる」[31]のはあまりにも当然のことだったと言えるだろう。
「生まれた時に祝福され。
後に呪われ、疎まれ。
今、千景は再び祝福された。」
朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』上(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2016年)、76頁
問題は1年後の2回目の方だった。
この時点で彼女の同輩たる土居球子・伊予島杏の2名が戦死していた。また、大型バーテックスの出現と頻繁な襲来によって、自然災害・事故が頻発して多数の死傷者が出ていた。これに対して、情報を隠蔽しきれなくなった大社は、勇者の戦死とバーテックスの攻撃による災害・事故発生の事実を公表したのだが、「人々の間では、不安の声が溢れ返」り、「絶望して自殺する者や犯罪に走る者も増え」て「治安が悪化し始めてい」た[32]。その影響で「郡様の村でも勇者様を称賛する声は消え、郡様を『役立たず』だとか『無能』だとか非難する」「声で埋め尽くされてい」たのである[33]。
「あの村では郡様を糾弾する空気が醸成されていた。元々郡様の家は、あの村では嫌われ者だった。郡様が勇者様に選ばれたから、あの家は称賛されるようになったけど、それがなくなれば元に戻る」
朱白あおい著『結城友奈は勇者である 勇者史外典』上(タカヒロ企画原案・監修、BUNBUNイラスト、Project2H原作、KADOKAWA、2021年)、103頁
彼女の巫女・花本美佳が指摘しているように[34]、本来「嫌われ者」だった郡一家や千景本人を「称賛」していた=糾弾していなかったのは、彼女が勇者になったからである。だから、勇者の活躍が目立たなくなるどころか苦戦するようになると、すぐに「手のひらを返したように、勇者様を糾弾し始め」、「非難する」「声で埋め尽くされ」る。そして、もともと「嫌われ者の郡家が称えられることに内心で苛立っていた住人も多かっただろうから、反動で以前よりもさらに郡家は嫌われ」ることにもなる。正確に言えばそれは、「攻撃してもいい対象」として「小さく閉鎖的なコミュニティの中で、強いストレスを抱えた」「住人の不満のはけ口にな」り、「罪悪感すら抱か」れずに「常軌を逸した」「攻撃の仕方」で「甚振られ」ることを意味していた[35]。
彼女が帰省したときに目にしたのは、「毎日毎日、うちの家に投げ込まれていく」「無数の罵詈雑言」が書かれた「ノートの切れ端や便箋、チラシの裏、コピー紙」だった。父親によれば、「みんな」が「陰口で」言っていることで「村を歩いているだけで蔑まれ、中傷され」ているという。彼女が暴走して襲撃した「小学校時代、千景をいじめていた少女たち」は、「自分が特権階級だとでも思ってんじゃないの、役立たずのくせに!」・「こんなとこにいないで、さっさと化け物と戦えよ!やっぱてめえは、勇者になっても昔のままだな、愚図!」・「あんたら勇者が負けるから、被害者が出てるのよ!」と口々になじった[36]。
乃木若葉に暴走を止められた後に広がっていた周囲の状況は、「千景に恐怖と嫌悪と怒りの視線を向けている」「何十人も」の村民たちの「無数の目」=「視線の檻」だった。彼女はもはや「勇者装束のまま、子供のように弱々しく涙を流す少女」に過ぎなかった[37]。勇者になったことで彼女に直接的暴力を振るうものは某村落からいなくなったが、暴力の下地が維持され続けている以上、かれらはこういう場では集団で精神的暴力を容易に振るい得たのである。それは何ら小学生時代と変わらない光景だった。その後、彼女は「丸亀市に連れ戻され」、「勇者システムの剥奪と謹慎が決まった」[38]。
「『やめて……やめて……そんな目で見ないで……』
千景は足元がぐらつき、立っていることができなくなる。大鎌が手から滑り落ちた。その場に座り込み、頭を抱えて嗚咽を漏らす。
『嫌わないで……お願い……お願いです……私を好きでいてください……』
後に残ったのは、勇者装束のまま、子供のように弱々しく涙を流す少女だけだった。」
朱白あおい著『結城友奈は勇者である 勇者史外典』上(タカヒロ企画原案・監修、BUNBUNイラスト、Project2H原作、KADOKAWA、2021年)、110頁-111頁
再現された被暴力体験を前にして、彼女は「弱々しく涙を流す少女」へと回帰した。それは「承認」と「愛情」を欠如し、家庭のみならず学校や地域においても「呪われ、疎まれ」ながら育った少女の運命としては、残酷に過ぎた。彼女に刻印された被暴力体験は、結局、その生涯の大半を覆うものだったことになる。「祝福」は一瞬のうちに過ぎ去り、後には「恐怖と嫌悪と怒りの視線」だけが残った。
そして、某村落がそうだったように、世論は勇者の批判や否定へと突き進み、四国社会それ自体も勇者たちにそのようなまなざしを向けていた。彼女を唯一支えていた勇者という資格はもう無効になりつつあった。依存先を失った彼女は「無価値」な存在へと逆戻りしなければならなかった。暴走して某村落の人々を傷つけたのは、文字通りに致命的だっただろう。それによって勇者システムを剥奪された彼女は、「自分の居場所と価値」を喪失した。彼女からすべてが消え去っていってしまったのである。ここまで来て「狂気」や「嫉妬」に駆り立てられない方がおかしいと言ってもよい。こうなってしまえば、彼女が暴走して乃木若葉を殺害しようとするまで、もうすぐである。それは「戦死」についても同様だろう。彼女を最後まで振り回したのは、結局のところ某村落における被暴力体験だった。「再発」した被暴力体験は、(小学校時代の体験とともに)明白に彼女の「戦死」を決定づけていたのである。
「大社は郡様の家があの村の中でどれほどひどい扱いを受けているか、理解していなかったでしょう? だから、実家に戻せばいいなんて言えたのよ! あの村にいれば、郡様が心に傷を負って、最悪の行動に走っても仕方ない!!」
朱白あおい著『結城友奈は勇者である 勇者史外典』上(タカヒロ企画原案・監修、BUNBUNイラスト、Project2H原作、KADOKAWA、2021年)、104頁
・被暴力体験の社会的発生要因
以上、彼女の被暴力体験を小学生時代の「いじめ」=被暴力体験と勇者時代に再発した被暴力体験に分割しながら紹介してきた。それでは、このような体験はどのようにして発生してきたものだろうか。言うまでもなくそれは、被暴力体験を引き起こした某村落に原因がある。しかし、それは誰によって/なぜ/どのようにして起こったものだろうか、この点を考えて見なくてはならない。
まず「誰によって」だが、これは意外に難問である。「かつて彼女の担任だった女性教師」や「千景を虐げた昔のクラスメイト」、「かつて千景を尻軽女の娘と蔑んだ商店街の店主たち」、「薄気味悪い子だと千景の悪口を言っていた近所の主婦たち」などをいくら挙げてみても、決定的な人物の名前を特定することができない。しかし、それが「村ぐるみ」ということなのである。つまり、某村落という地域社会の丸ごとを主体として、実行されたものであって、誰か特定の人物の責任において行われたものではないということになる。
続いて、「なぜ」起こったのか。
2度目に関しては、既に彼女の巫女・花本美佳が分析した通りである。すなわち、①「小さな田舎村という閉鎖的な環境」・②「戦争状態で不安と不満を抱き、強いストレスに晒された住人たち」・③「元々から嫌われ者の郡家」・④「『四国と人々を守る』という役割を持ちながら、それを果たせない勇者の存在」という4つの「悪条件」が揃ったからである[39]。
1度目については、前提として②~④の要因が抜け落ちることから、①の小さな田舎村という環境要因に基づくものだろう。ただし、閉鎖的環境ゆえに「住人同士の生活の情報はほとんど共有され」るところに[40]、母親の不倫という醜聞が周囲に知れ渡り、結果として村の中での立場が非常に悪くなった[41]というのは論理的飛躍があるので、おそらく某村落に新たに移住した「新参者」=「余所者」で比較的孤立気味だったことが関係しているものと思われる。
閉鎖的環境の性格として、新規参入者を拒否したり容易に馴染みにくくしたりすることは十分想定可能だから、郡一家が村落内部で浮いていて、少なくとも肯定的には見られていなかったところを不倫の醜聞に突かれて、周囲のまなざしが急速に悪化したものではないだろうか。
最後は「どのようにして」起こったのか、である。被暴力体験が閉鎖的環境要因や4つの「悪条件」の一致という条件によって発生したとして、それらはどのように集団内部に拡大していき長期間かつ大規模な暴力行使へと発展したのだろうか。
既に「誰によって」の箇所で分析したように、暴力行使の主体は不特定多数の某村落構成員であって、誰かひとりを挙げることはできない。それは共同体の意思によって実行されているのである。とすると、そこには共同体全体に関わる意思決定プロセスが介在することになる。しかし、この場合では具体的に寄合のような合議によって暴力行使を決議した形跡はないから、(たとえば不倫禁止のような)慣習法的規制や規範=ルールに違反したものと見なされ、共同体の敵として制裁を加えられたものだろう。
ただし、暴力行使のバラエティに鑑みれば、制裁対象認定は共同体の意思としても、実際の暴力行使に当たっては、詳細まで決定していなかった可能性が高い。また、意思決定プロセスが慣習法的規制・規範との対照によって代替されたとはいえ、共同体的正当性を付与されるには複数共同体成員の承認が必要だから、閉鎖的環境ゆえの親密な相互コミュニケーションの存在がその役割を担ったものだろう。したがって、住人たちの噂話や世間話などを通して個人・小集団間の意思決定が蓄積されていき、閾値を超えた段階でなし崩し的に制裁決定と暴力行使に踏み切った、という過程を想定できるのである。
しかも成員相互は平等な存在としてあるため、決定プロセスはいわば「民主的」であって、横並び型の暴力行使は共同体の責任のもとに決定された正当な行為となる。そのため、かれらは制裁=暴力行使という「民主的」に決定された事項に従って、郡一家および郡千景に対して暴力をふるい始めたことになる。
しかし、それは暴力を停止することが誰にもできなくなることを意味した。そこにおいて、暴力行使のバラエティはあれど、暴力行使それ自体は共同体の決定に基づいて正しいものとなるから、住人個人は行使のレベルを変更したとしても、共同体の意思に背反できないまま暴力をふるい続けることになっている。共同体の意思において実行したことは共同体の意思によって停止されなければならない。そうでなければ、暴力行使の単独停止者が共同体の意思への違反者として扱われ、ついには郡一家同様の制裁対象化の末路を辿るからである。
閉鎖的共同体はよっぽどのことがない限り保守的傾向を示すものであり、制裁を取り消すことはできないだろう。もはや暴力行使はそれ自体が共同体における新規の規制・規範として設定され、自己目的化の果てに「地獄」が現出することになるはずである。地域社会はただひたすらに「暴走」していってしまった。
・高知県某村落の「ムラ社会」的性格
一連の詳細な原因分析を踏まえれば、某村落がどのような問題を抱えていたのかが分かるだろう。千景の被暴力体験を引き起こしたのは、某村落の持つ閉鎖性と共同体の高い位置づけ、そして共同体的規制・規範の強力性である。こうしたものは地域社会の構造的性格であって、「ムラ社会」的性格と言い換えてもよい。つまり、高知県某村落という地域社会は、その「ムラ社会」的性格によって「地獄」のような暴力行使の光景を発現してみせたということになる。彼女を「戦死」へと導引していったのは、壮絶と言わざるを得ない被暴力体験だったわけだが、それらが地域社会の構造のもとに登場したのならば、真に「戦死」を導いたのはそれらの「ムラ社会」的社会構造=「ムラ社会」構造だろう。彼女の「戦死」には、確かに、当時=神世紀移行期の某村落という地域社会が抱える「社会的矛盾」と呼ぶべき背景があったのである。
・「ムラ社会」の定義
ただし、ここで言う「ムラ社会」とは、単純な「村落共同体」を意味するわけではない。「村落共同体」とは、基本的に「自給自足かつ自治的なひとつの地域社会を構成する閉鎖的な村落」を指すものだが、それらは「前近代的な村落社会の存在形態」であり、現代的=近代的な村落の存在形態ではない[42]。むしろ、筆者の指摘する「ムラ社会」とは、それらを比喩として使用した、以下の「2」のような定義を持つ閉鎖的組織・社会のことを意味する。
「1 集落に基づいて形成される地域社会。特に、有力者を中心に厳しい秩序を保ち、しきたりを守りながら、よそ者を受け入れようとしない排他的な社会をいう。しきたりに背くと村八分などの制裁がある。
2 同類が集まって序列をつくり、頂点に立つ者の指示や判断に従って行動したり、利益の分配を図ったりするような閉鎖的な組織・社会を1にたとえた語。談合組織・学界・政界・企業などに用いる。」
「村社会」『デジタル大辞泉』
正確に言えば、「強力な共同体的規制・規範によって共同体成員全員を拘束・抑圧し、違反したと見なされた人物には徹底的な制裁を加える閉鎖的・排他的な社会」のことであり、「前近代日本列島の村落共同体との類似性を持つ点もあるが必ずしも一致はしない、現代的社会のあり方」である(したがって、日本列島特有の「社会のあり方」とは見なさない)。本コラムにおける「ムラ社会」の用法は以上の定義に従うものである。
・「ムラ社会」概念の拡張的性格
しかし、筆者にはそのような「ムラ社会」のあり方をどうしても不思議なものに思えてならない。というのは、本来的に弱い立場に置かれた少女に対して村ぐるみの暴力を徹底的に行使しているから、というわけではない。不思議なのは、神世紀移行期の高知県某村落において人々を暴力へと駆り立てる構造そのものが、「小さな田舎村という閉鎖的環境」=「小さく閉鎖的なコミュニティ」という要素を除けば、当時の某村落だけに当てはまるものではないことである。それは本当に某村落に固有の現象なのだろうか。しかも「閉鎖的環境」や「閉鎖的なコミュニティ」とは、規模の問題でもあろうが、基本的には集団の性格の問題である。
もちろん、直接的暴力行使を伴うようなものは例外的現象かもしれないが、美佳の指摘した通り、「コミュニティの特性と社会情勢が悪い形で噛み合ってしまった時に、それは容易く起こり得る」のである[43]。「環境」や「コミュニティ」が某村落のように狭小だろうがそうでなかろうが、まったく関係がない。「ムラ社会」構造は、閉鎖的集団、閉鎖的コミュニティ―そこにおいて、たとえば、リアルかヴァーチャルかどうかは問題とならない―の普遍的性格として把握されるべきなのではないだろうか。このような構造が普遍的であるとき、某村落という「ムラ社会」で引き起こされた壮絶な被暴力体験もまた、普遍的となるだろう。
次項では、神世紀移行期四国社会に注目してその「ムラ社会」構造や某村落との同型性・関連性を考察することとしたい。
3、神世紀移行期四国社会という「ムラ社会」 ―「ムラ社会」構造の同型性―
本項では、もうひとつの社会的要因=社会的矛盾、すなわちマスメディア・インターネットを媒介とした反勇者的世論の暴走という四国社会の問題について取り扱う。以下では、まず勇者と世論の関係性を具体的に時系列に沿って概観するとともに、その世論の性格についても分析していくこととし、その後で、そのような世論の「暴走」過程において、「ムラ社会」構造が関係すること、そして某村落の状況と同型性・関連性を持つことを指摘する。
・神世紀移行期対勇者世論の変遷① 親勇者的世論と「情報統制」の陥穽
そもそも勇者に関する世論が形成されるためには、勇者に関する情報が社会に公表されていなければならない。それが初めて公表されたのは、西暦2018年9月15日のことである。
この時点で生き残った人類は、日本列島を含め世界各地がバーテックスの襲来によって絶望的状況に追い込まれるなかで、周囲を「神樹様の結界」(「霊的な力に守られた防護壁」)で防護された四国地方に逃げ込み、辛うじて暮らすのみに留まっていた。長野県諏訪地方に居た勇者・白鳥歌野と巫女・藤森水都の3年間の戦闘の結果として、四国政府・大社は、「諏訪を本丸の四国を守るための囮にし」ながら、「敵を迎え撃つ計画」=「勇者計画」(「神と精霊の力を宿した少女たちの戦闘部隊」=「勇者」によるバーテックス反撃計画)を推進することに成功する。「人類の切り札」としての「勇者」は、9月14日のバーテックスとの初戦終了後、テレビ・新聞・雑誌の各メディアやインターネット上でその戦果とともに存在を公表されることになった(3期5話)。
「人類の希望」・「新しい時代へ」(テレビ番組)、「初陣からバーテックスを撃破」・「勇者大勝利」(大社新聞)、「勇者V撃破」(四スポ=四国スポーツ)、「美少女5人の素顔に迫る!」(『週刊疾風』)、「勇者特集 ただ、「カワイイ」だけじゃない 初陣で魅せた5人の少女たち」(『BOYSFINE』)などなど(3期5話)。「テレビ、新聞、ネット、週刊誌などで、連日のように五人の勇者のニュースが実名付きで流れ」、「勇者たちがすべて年端も行かぬ少女であることも話題になり」、「四国中の子供から大人まで、誰もが勇者という存在に注目していた」[44]。人々は「安堵と歓喜の声を上げ」て[45]「熱狂」し、勇者たちは「期待をもって迎えられた」(3期5話)。
「誰もが救いを求める悲惨な状況ゆえに」[46]、バーテックスに対抗できる力を持った彼女たちの存在は、「人類の希望として公に持ち上げられることとな」ったのである[47]。大社が「マスメディアの取材を受け入れ、むしろ勇者の存在をアピールすることで、四国の人々を安心させる方針を採った」ことで、「大々的に報道」された[48]。この時点における世論は、間違いなく勇者を歓迎し称揚するものだった。その後、勇者に戦死者が出るまでのある程度の期間(数ヶ月間)はこの状態が継続したと思われる。
それは、以下にあるように、新聞や週刊誌を中心として存在したはずである。
「今まで発行されてきた新聞や週刊誌には、勇者を賞賛する記事がたくさん載っている。記事の内容の多くは若葉を中心としたものだが、もちろん千景も勇者の一人として讃えられている。」
朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』下(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2017年)、85頁
しかし、その際に注意しなければならないのは、同時に公表された「四国と諏訪との通信記録」に関してである。その公表は、「壁の外にも生き残っている者たちが」存在し「彼らも必死にバーテックスに抵抗している」という事実を示すものだったから、「四国の住民に希望と力を与え」ることになった。ただし、実際には諏訪との通信は完全に途絶しており、状況は「絶望的」だった[49]。実際、彼女たちはこの時点までに壊滅している[50]。それは「情報統制」という名の虚偽なのである[51]。大社は「大きな混乱を防ぐために」「劣勢下でも人類側が優勢に見せかけるよう、若葉の演説や新聞を使った」のである[52]。そのような「情報統制」の問題に留意しておかねばなるまい。
その後、「丸亀城の戦い」と呼ばれる激戦を勝利で決着させた西暦勇者たちは、「四国から出発し、白鳥が守っていた諏訪や、人類生存の可能性が見い出された北方を目指す」「結界の外へ」の「遠征調査」に出発したが[53]、遠征調査に同行していた巫女・上里ひなたが「四国が再び危機に晒されている」とする神託を受けたことで、諏訪地方にたどり着いた時点で調査は中断され帰還することになった[54]。結局のところ、生存者はひとりたりとも残ってはいなかった。もちろん、諏訪地方の勇者と巫女も例外ではない。だが、報道はそうならなかった。「情報統制」という名の虚偽がこの時点から目立ち始めていくのである。
「『勇者様と巫女様による調査の結果、諏訪地域の無事が確認されました。現在大社は、諏訪の避難民へ物資を輸送する方法などを検討しています。また、諏訪以外の地域でも人類が生存している可能性が高いと見られ―』
若葉たちは食堂で、テーブルに置かれた携帯テレビから流れるニュースを聞いていた。
調査遠征から四国へ帰還して、今日で三日目。今は昼食時間で、みんなでうどんを食べているところだ。
この三日間、テレビや新聞などの報道機関は、調査遠征によってもたらされた『よい報告』を流し続けている。
『相変わらず嘘ばっかりだ。せっかくのうどんが不味くなる』
不機嫌そうに言いながら、球子はテーブルに箸を置いた。」
朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』下(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2017年)、25頁
彼女たちが調査遠征から帰還してからの3日間、「テレビや新聞などの報道機関は、調査遠征によってもたらされた『よい報告』を流し続けてい」たが、それら「四国に流れているニュース」は「大社によって歪曲されてい」た。土居球子が「相変わらず嘘ばっかり」ということは、この時点で既に一定期間「歪曲」されたニュースが報道されていたということになる[55]。
そして、それらの意図は明白である。すなわち、「諏訪は無事だった、四国の外にも人類は生存している、人類は国土を取り戻すことができる」というような虚偽のニュースは、「四国の人々が喜」ばせることで「人々の士気を下げない」ことを可能にするものである[56]。それらは不安な状況に置かれた四国地方の人々の「願い」でもあるから[57]、虚偽の情報によって「実現」したかのような状況にするのは、「士気」の面では有効な効果を発揮する。人々は「情報統制」の結果として未来に希望をつなぐことができたのだろう。
だが、そこにおいて報道内容に人々の願望や希望が反映されたとき、真実は二の次にならざるを得ない。そのような状態で、もし残酷な真実が隠しおおせるものではなくなったとき、人々の願望や希望は否定できない真実によって裏切られ、かれらはふたたび「悲惨な状況」と向き合わなければなくなる。幸福な虚構に酔っていた人々は、突如「裏切られ」てしまい、現実という奈落に直面するなかで、行き場のない負の感情をどこかへと放出することを求め始める。神世紀移行期四国社会で、その最大の放出先となったのは、何あろう「人類の希望」、すなわち勇者にほかならない。そして、それは彼女たち以外に事態に対処できるものがいない以上、間違いとは必ずしも言えなかった。
というよりもむしろ、彼女たちは世論との最初の接触の時点で、人々の「希望」の反映に変化してしまっていて、勇者とは既に「希望」の表象になっていたと言うべきだろう[58]。「希望」が失われたとき、「希望」の表象としての勇者の輿望も失われているのである。しかも、勇者が「希望」の表象たるのは、(「人類はバーテックスに勝てる、勇者が人々を守ってくれる」[59]という)「希望」を実現する存在として勇者が存在するからである。したがって、輿望を失った彼女たちは勇者としての責任が追求される(という名目で負の感情を当てつけられる)ことになる。「人々を守り、バーテックスを討つ勇者だからこそ、彼女は賞賛され、愛される」のだから[60]、「人々を守らず、バーテックスを討たない/討てない勇者だからこそ、彼女は批判され、嫌われる」ということになるだろう。
「切り札」としての勇者とは、前提として「世界」のためのスケープゴート(生贄)になっているが、ここにおいて、彼女たちは別種のスケープゴートとなって四国社会の不安や不満のはけ口として機能させられることになっただろう。
・神世紀移行期対勇者世論の変遷② 反勇者的世論への転換と勇者の存立危機
そして、ついに勇者に戦死者が出る。土居球子と伊予島杏の戦死である。このタイミングをもって幸福な均衡は完全に破綻する。「希望」は喪失した。「四国という箱舟は、船底に穴が開いてしまったのだ」[61]。世論は親勇者的なものから反勇者的なものへと徐々に転換していくのである。
その契機は上述した「情報統制」にあった。
「本州の調査情報を歪曲してまで、人々に希望を持たせようとしてきた」のに、「勇者たちでも歯が立たない敵の出現と勇者の死亡を明か」すようなことがあれば、「人々は再び希望を失ってしまうかもしれない」。大社としては、「二人の死や大型バーテックスのことを隠蔽したい」のだが、「今まで勇者のメディア露出を多くしてきたことが仇となり、球子と杏の死をいつまでも隠し通すこと」が不可能になっていた。タイミングを決めかねた大社は、戦死の翌日でも「まだ結論を出せていな」かった[62]。
しかし、それは悪手だった。
勇者たちの「死の情報を隠した」ことは、彼女たちを支える立場にある巫女たちにとって、「自分の存在も蔑ろにされるかもしれない」という不安を呼んだ。「巫女の誰か」が「ささやか」な「大社への犯行」として「公表されていない土居と伊予島の情報」を「ネット上に流」したのである。「もう大社は、巫女たちを統率することさえできてい」なかった(その後、大社=大赦内部の巫女たちは、くすぶった不満をそのままにクーデターへと突き進んでいくことになる)[63]。
もっと最悪だったのは、情報が流された先の社会だった。インターネット上の匿名掲示板やSNSでは、「噂話のように」戦死の事実を話題にして「溢れる」ように勇者への反発や不満を表明していた。たとえば、「勇者負けたってマジかよ役に立たねえな」・「勇者が化け物を倒せなくて、詳しいことはわからんが、そのせいで竜巻が起こった」(バーテックスの影響で自然災害が発生することは事実である:引用者注)・「俺たちを守れてねえじゃん勇者」・「しょせんこの程度」・「俺は前から言ってたんだがな 勇者なんて役に立たねえって」・「持ち上げられすぎだったんだよ メッキが剝がれたな」・「使えねえ」(掲示板)[64]、「勇者なんて飾りだろマジで 消えろ」・「勇者が化け物を倒せなくてそれで街に被害が竜巻が起こった」・「勇者の知り合いも竜巻で怪我したんだぞ 金もらってるなら働けよ」(SNS)(3期5話)というようなものである。
リアルの社会においても、同様の事態が発生していた。「あの子たちのせいで人が死んでるのに」・「勇者が化け物を倒せないから、怪我人とか死ぬ人も出てるんでしょう?」・「本当にちゃんと戦っているのかしら……?」・「さぁ……どこで何をしてるのかわかったものじゃないし」[65]という某村落での会話は、決して限定的なものではない。むしろ「マシ」な部類だった。某村落の外には、マスメディアを媒介して伝達された「真実」を前にして「絶望して自殺する者や犯罪に走る者も増え」、「治安が悪化し始めている」社会があったからである。
「度重なる樹海の腐食と、その影響による事故・災害。そして一般の人々に漏れてしまった球子と杏の死。情報を隠すことが不可能と判断した大社は、勇者の戦死と、頻発する災害や事故がバーテックスの攻撃によるものであることを公表した。新聞やテレビなどは、大社の情報統制によって、勇者の勝利と大社の活動を前向きな語調で伝えている。
しかし――人々の間では、不安の声が溢れ返っていた。絶望して自殺する者や犯罪に走る者も増え、治安が悪化し始めている。」
朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』下(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2017年)、92頁-93頁
ふたたび四国社会は「絶望」に覆われた。特に、「頻発する災害や事故」は致命的だった。日常的な「絶望」への直面は、「希望」をさらに押し下げる効果を持つ。必然的に「希望」だったはずの勇者への批判が顕在化することになった。「役立たず。無価値。不要。消えろ。いなくていい。無能。ふざけるな。弱すぎ。戦えよ。なに負けてんの。無価値。役立たず。」[66]。「『四国と人々を守る』という役割を持ちながら、それを果たせない勇者の存在」[67]は、このように形容されるのが関の山である。そして、(バーテックスとの戦闘が勇者以外の存在には不可視であるという事情も重なって)事態は既に勇者の存在意義そのものを否定する方向へと向かっている。ただでさえ四国地方の周囲を敵に囲まれて暮らしているというのに、期待された防衛義務を果たさずに民間人への死傷者を出した勇者を肯定することはほぼ困難に近い。もはや四国社会は「反勇者的世論」が席巻しつつあっただろう。おそらくその広がりは、「情報統制」でも管理できない段階へと立ち至っていたはずである。
このような事態において、大社や勇者がすべきことは確かな実績をあげて人々に希望を与えること以外になかった。だが、バーテックスとの戦闘は継続しており、いまだに劣勢を強いられている。すぐに事態を打開することは困難だった。事態は完全に行き詰まっていたのである(この時点で高嶋友奈が負傷療養のため戦線離脱=入院を余儀なくされていた)。
・神世紀移行期対勇者世論の変遷③ スケープゴートとしての郡千景と親勇者的世論の復活
しかし、「幸運」なことに当座のスケープゴートがそこにはあった。郡千景である。彼女は、乃木若葉を強調するためのコントラストとして存在していると言っても差し支えなかった。
某村落で起こした彼女の暴走を止めた乃木若葉は、「スマホの動画で撮影されてネット上にアップされ」たことで、「動画の中で、千景を止めて村人を守ろうとする」姿が「まさに正義と勇敢さの象徴」として映った。さらに、若葉が大社の指示に従って丸亀城で行った演説は、「勇者と大社を代表して人々を奮い立たせようとする」ものだったから、「ここ数日で何度もニュースで流れ、新聞でも取り上げられ」、「今や、四国の人々から神格化に近い扱いを受けていた」。「四国の人々を絶望させないために」、「若葉の四国内での人気を利用し、各メディアへの情報操作なども行って」彼女を「希望の象徴として祭り上げよう」とする大社の動向の助けもあった[68]。
そのような「追い詰められた人類を率いて戦うカリスマ」、「愛され、憧れられ、希望とされる存在」としての乃木若葉。それと対照的なのは、「力を奪われ、何も持た」ず、「暴走した勇者として人々から忌み嫌われ」「謹慎中で誰にも会うことができない」存在、「勇者としての価値も、賞賛も、仲間も失った」存在としての郡千景である[69]。
スケープゴートとしての郡千景というと、疑問に思う向きもあるだろうが、「人々の間ではまだ勇者と大社に対する批判はあるが、今やそれは若葉を賞賛する声に比べて、ごくわずかだ」という事態と、千景が「暴走事件のせいで人々から恐れられている」という事態[70]がそれを解決してくれる。
「勇者と大社に対する批判」をかき消し、人々に「希望」を維持させ続けているのは、若葉の存在である。しかし、現実に勇者は2人死んでおり、バーテックス襲来のために発生した自然災害で民間人の死傷者が多数出ている。しかも人類が四国地方という空間に閉じ込められたまま、既に4年が経とうとしている。「悲惨な状況」に一切変わりはないどころか、その悲壮度をさらにあげている。負の感情ははけ口を求めて絶えず存在し続けている。そのようななかで大社の「情報統制」―そもそも完璧なものではないのだが―がいくら成功したところで、あるいは若葉の演説がいくら効果的だったところで、「人類の希望」は相対的にその位置を低下させざるを得ない。
しかし、「暴走事件」を引き起こした千景がそこにはいる。「暴走事件」を起こした「人類の希望」のみに負の感情を集中させ、代わりに「カリスマ」の「人類の希望」の方に「希望」を見出せば、これまでと変わらないどころか、それ以上の地位を勇者に与えることになるだろう。「批判」とは「裏切られ」た「希望」の裏返しなのだから、「恐怖」という名の不安や不満を千景というスケープゴートに全部丸投げすれば、「裏切られ」ることへの不安に苛まれた人々は、「希望」を若葉に付与して「カリスマ」へと仕立て上げることになるだろう。そこにおいて、ひとりスケープゴートとなった彼女は、積極的存在価値を喪失することになる。(某村落における被暴力体験も含め)既に追い詰められていた状況を考えれば、乃木若葉との落差のなかから「狂気」と「嫉妬」による暴走への回路が始動されただろうことは容易に想像がつく。もはや、その「戦死」は(ほぼ)確定的となった。
その結果として、「人類の希望」としての勇者は、乃木若葉と事実上同一化して彼女のカリスマ性とともに絶対的安定性を確保することになり、反勇者的世論を親勇者的世論(事実上の親乃木若葉世論)へと完全に転換することに成功したものと思われる。
その代償は、むろん一番には千景の戦死が挙げられるのだが、「『勇者』という存在の神聖性」を気にした大社による勇者除名処分(若葉の演説によって一時停止となる)と「市民向け」の演説における「勇者として人格面で相応しくなかった」という文言も忘れてはならない[72]。つまり、戦死後における存在の完全否定である。そのような代償の存在、言い換えれば大社がわざわざ体面を気にして徹底的な存在否定に取り組まなければならなかったということは、四国社会に彼女に対するマイナス評価―反郡千景世論―が無視できないレベルで存在していたことをうかがわせる(それは本来的には反勇者的世論だったはずのものである)。
以下の彼女の巫女・花本美佳の発言はその社会的広がりを示唆するものだと言えるだろう。
「大社も、郡様の親も、郡様に守られてきた一般市民たちも――郡様の死を悼んでくれる人間がどれだけいる!? 彼女の戦いと功績を認め、彼女が生きていたことを祝福する人間がどれだけいる!?
せめて一人くらいは! 私くらいは!
郡様は素晴らしいご活躍をされたのだと、勇者として褒め称えられる生を送ったのだと、彼女の傍で声を上げなければならないんだ!」
朱白あおい著『結城友奈は勇者である 勇者史外典』上(タカヒロ企画原案・監修、BUNBUNイラスト、Project2H原作、KADOKAWA、2021年)、123頁
そうして反郡千景世論と引き換えに(本来あった)反勇者的世論は退場し、親勇者的世論≒親乃木若葉世論が復活することになった(もちろん、「情報統制」の影響は否定できない)。反郡千景世論は郡千景の戦死からほどなくして消滅し、若葉と回復した高嶋友奈が失敗しない限りにおいて、親勇者的世論の優勢は覆らなかっただろう(とはいえ、彼女たちが「第二の郡千景=スケープゴート」となることは十分想定できたはずである)。実際、(友奈は戦死したが)綱渡りの先の最終決戦と奉火祭によってそれ(優勢)は確定的となった。その後の親勇者的世論は、カリスマ・乃木若葉に強力な支持を与え続けながら、その死去とともに口伝や乃木家の伝統的権威、あるいは神樹信仰のなかへと、姿形を変えつつ溶解していったのだろう。
・神世紀移行期の対勇者世論と四国社会
一連の対勇者世論の変遷を整理すると、親勇者世論(肯定的反応)→反勇者的世論(否定的反応)→親勇者的世論≒親乃木若葉世論(肯定的反応)&反郡千景世論(否定的反応)というようになる(※下図参照)。
より詳しく説明すれば、以下のようになる。
まず勇者公表直前の段階において、悲惨な状況に直面した人々が不安や悲嘆にくれる状況だったから、四国と人々を守る勇者の登場を、安堵や歓喜、熱狂、期待という態度で以て歓迎することになる(「親勇者的世論」)。彼女たちは人々の「希望」を具現化する存在=人類の希望となり、「希望」の表象となった。
しかし、このときに行われた情報統制による現実の積極的糊塗は、四国社会を喜ばせるものだったから、士気は維持されただろうが、人々の願望や希望が投影された内容が報道されることは、それらの願望や希望に背反する事態が発生したときに致命的な事態を招来する。
そして、勇者2人(土居球子・伊予島杏)の戦死や大型バーテックスの出現、バーテックスの攻撃による事故・自然災害の頻発という一連の事態は、それらの真相公表によって、四国社会を社会不安と絶望に追い込み、願望や希望を表象する(はずの)勇者への否定的評価(「反勇者的世論」)へと突き進んだ。
だが、郡千景の暴走事件が郡千景というスケープゴートを用意し、乃木若葉による暴走事件解決と人々への演説がカリスマ・希望としての勇者≒乃木若葉の存在を再設定したことで、否定的評価は前者へとすべて転嫁されて「反郡千景世論」となり、もともと存在した肯定的評価が後者のもとに再出現して「親勇者的世論≒親乃木若葉世論」となる。その後は郡千景の戦死によって「反郡千景世論」が消滅していき、最終決戦と奉火祭によって「親勇者的世論≒親乃木若葉世論」は存続していった。
・対勇者世論「暴走」の社会的要因
このような状況において注目するべきなのは、世論の不安定性=流動性である。親勇者世論→反勇者的世論→親勇者的世論≒親乃木若葉世論&反郡千景世論という過程は、数年のうちに極めてドラスティックに経験されたものであって、戦争状態の世論としては当然としても、世論単独で見れば急変にも程がある。特に、親勇者的世論から反勇者的世論への転換以降の動向があまりにも急速であり、それで郡千景の「戦死」が招来されたことを考えると、世論の有様は「暴走」だと言わざるを得ない(※急速な世論の転換については、次項で説明する)。
そうした「暴走」過程は、根本的には四国社会の人々が勇者に願望や希望を反映して彼女たちを把握していたことに起因するだろうが、勇者たちに対する激しい批判が一定規模の広がりを以て発現したのはなぜなのだろうか。
鍵となるのは、世論の発生源だろう。四国社会の対勇者世論は(大社による情報統制=コントロール下にあった)マスメディアや(マスメディアよりは比較的自由度の高かった)インターネットを媒介にして形成されていたにせよ、反勇者的世論や反郡千景世論を拡大させたのは、あくまでも四国社会に住むひとりひとりの個人である。情報統制体制下にある四国社会のメディアは、反勇者的世論の発生源となるような契機を作らせることができないだろう。とすると人々は、メディアを媒介としながら、しかし主体性を積極的に発揮することで―たとえば、SNS・匿名掲示板(インターネット)における投稿・コメントや、現実社会におけるコミュニケーションなどを通して―世論を生成し、増幅し、拡大していったことになるのではないだろうか。
そこで大きな役割を担っているのは、かれら自身なのである。大社は反勇者的世論を許容せず、情報統制を積極的に仕掛けていたのだから、人々は基本的に主体的な個人・小集団間の相互コミュニケーションによる意思決定を積み上げながら、そうした世論を自立的に形成していったわけである。
もちろん、それらはせいぜいが比較的小規模~中規模の閉鎖的コミュニティにおける共通意思=世論形成に成功するくらいで、限られた相互参照性を通して拡大していっても四国社会全体を覆うことはできないだろう。
しかし、「現代社会」は「すべてのモノ、コト、ヒトが情報の発信装置と化し、メッセージ性を帯びるメディア社会」である[71]。さまざまなメディアを駆使することによって、それらがかなりの程度まで拡大することは不可能ではない(特に、規制があまり及んでいないインターネットが大規模拡散のためのメディアとして利用されただろうことは想像に難くない)。また、人々の願望や希望を体現するはずの勇者たちが十分に「四国と人々を守る」ことができていない状況は、彼女たちへの否定的評価に普遍的かつ合理的な根拠を付与することとなり、事実上の相互参照機能を提供するだろう。そのような事態の先において、各コミュニティにおける同時多発的共通意思=世論形成とその拡大は、結果として蓄積された世論を無視できない規模の「社会的」世論へと変換することになるだろう。
しかし、それらは反勇者的世論の量的拡大過程を説明するものだとしても、大量の激しい批判=攻撃を生んだことの説明としてわかりづらい。問題は、なぜそれらが同じようにかなりの規模で繰り広げられたのか(質的・量的同質性の理由)、である。
世論とは、ひとつの画一的意見だからこそ、世論となる。既に見たように、個人・小集団間の相互コミュニケーションによる意思決定から閉鎖的中小コミュニティ内部における同時多発的共通意思=世論形成を経て、相互参照や大規模な拡散を通した社会的世論の形成へと突き進む累積的プロセスの結果が、「反勇者的世論」であり「反郡千景世論」である。一連のプロセスは結果的に社会的な意思決定プロセスと同様なのだから、形成された世論とは、不特定多数の人々の承認を獲得したひとつの画一的な社会的意見である。当然のことながら、その意見=社会的意思とは勇者たちや郡千景を排斥するものである。したがって、このような「意思」の決定は、社会的意思として反勇者的行動・反郡千景的行動を許容・是認し、人々の行動を社会的意思の反映として正当化することになる。「激しい批判=攻撃」がその典型的事例であることは、言うまでもないことだろう(とはいえ世論形成過程のコミュニケーションにおいて交わされた言説が既に「激しい批判=攻撃」だった可能性は非常に高いのだが)。
そして、このような形態が広範に共通して発見されるためには、それを社会的に拘束する規制・規範がなければならない。つまり、勇者たちへ厳しい攻撃を加えるべきであるとするような当為の規制・規範である。それは一面においてそのような行動に対する社会的正当性の付与ではあるが、もう一面においては人々がそのような行動をしなければならないという義務にもなる。
このように言うと荒唐無稽に聞こえるが、そもそも勇者とは、人々の願望や希望を体現し「四国と人々を守る」社会的義務(あるいは世界的義務)を負っている存在である。そのような社会的規制・規範を遵守するべき存在が、バーテックスに苦戦して戦死者を出した挙げ句、民間人にも死傷者を生んで社会不安を発生させているとなれば、それは社会的規制・規範違反と認定され、「社会の敵」とされても文句は言えないのではないだろうか。少なくとも批判されるいわれがないとはどう考えても言えない。
そのようにして社会的義務を放棄していると見なされた存在は、社会的意思において社会成員から共同制裁を受けなければならないし、社会成員は社会的正当性のもとにこれを攻撃しなければならないのである。このような強力な社会的規制・規範の存在を想定しなければ、大規模かつ共通した「激しい批判」、すなわち質的・量的同質性を伴った社会的攻撃を説明することができないはずである。攻撃が社会的であるとき、その攻撃は一定程度の強制性を付随した社会的同意において実行されていなければ恐るべき偶然の一致以外ありえないだろう。やはり、それは強力な社会的規制・規範があると見なければならない。
・「ムラ社会」構造の同型性・普遍性
このように見てきたとき、神世紀移行期四国社会における一連の状況が前項で確認した高知県某村落の「ムラ社会」構造と似ていることに気付くだろう。強力な社会的規制・規範=強力な共同体的規制・規範の存在、社会の敵=共同体の敵への徹底的な制裁、主体的=民主的意思決定プロセスなどはいずれにおいても一致している。閉鎖的環境についてはやや留保が必要だろうが、この場合、閉鎖的中小コミュニティ内部の意思決定プロセスの累積で世論が析出されていることや、四国地方以外すべて消滅している状況にあるなかで、強力な社会的規制・規範によって共同体成員を拘束・抑圧できていることに鑑みれば、「閉鎖的環境」だと見なしうるだろう。つまり、どちらも「強力な共同体的規制・規範によって共同体成員全員を拘束・抑圧し、違反したと見なされた人物には徹底的な制裁を加える閉鎖的・排他的な社会」だと言うことができる。それゆえに、神世紀移行期四国社会と某村落とは、確かに構造的共通性=同型性を持っていることが確認されるのである。
したがって、このことは神世紀移行期四国社会が某村落同様に「ムラ社会」的社会構造という「社会的矛盾」によって郡千景を「戦死」に導いていったことを意味している。「ムラ社会」構造とは、当時において普遍的だと見なせるだろう。
しかも後者は前者に包含されるものだから、反勇者的世論の「暴走」と壮絶な被暴力体験=地域社会の「暴走」とは、両者に共通するものとして把握できることになる。
たとえば、以下の千景の巫女・花本美佳の言葉では、「郡様の村で『も』」とある。すなわち、「四国の一部の人間」の行動と「郡様の村」とが同一のレベルにおいて論じられているのである。
「土居様と伊予島様が亡くなり、現在の戦況は決してよくない。四国での被害も出始めている。
四国の一部の人間は手のひらを返したように、勇者様を糾弾し始めていた。
郡様の村でも勇者様を賞賛する声は消え、郡様を『役立たず』だとか『無能』だとか非難する腹立たしい声で埋め尽くされている。嫌われ者の郡家が称えられることに内心で苛立っていた住人も多かっただろうから、反動で以前よりもさらに郡家は嫌われてしまっていた。
いや、嫌われているという表現は不適切だろう。郡家は住人の不満のはけ口になって、甚振られているのだ。」(※強調は筆者による)
朱白あおい著『結城友奈は勇者である 勇者史外典』上(タカヒロ企画原案・監修、BUNBUNイラスト、Project2H原作、KADOKAWA、2021年)、103頁
もちろん、実際には行使された制裁にかなりの相違点があり、全部が全部当時の四国社会でそのまま起こり得たと見なすことはできない。だが、共同体成員全員を拘束・抑圧する強力な共同体的規制・規範に違反したと見なされた人物に徹底的な制裁を加える構図は同様であり、(たとえば勇者の生活圏内に非大社関係者が日常的に接近・侵入できるような事態が起こるなどの)何らかの契機や条件が揃えば十分に某村落以外の場所で人々が制裁に踏み切ったと考えてもおかしくはないだろう。
某村落における壮絶な被暴力体験とは、いわば「戯画化」されたものであって、誇張されていることは否めない。しかし、それらを完全に某村落「特有」のものとするのは難しい。既に美佳が指摘したように、それは「コミュニティの特性と社会情勢が悪い形で噛み合ってしまった時に、それは容易く起こり得る」のである。「ムラ社会」構造の同型性はそのことをよく示しているし、神世紀移行期四国社会に限って言えば、そのどこにおいてもあり得たことだと言えるだろう。
とはいえ、そのような「ムラ社会」構造の同型性や普遍性の指摘は、表面的な分析にとどまると言わなければならない。筆者に課せられているのは、そのような社会構造そのものに関する分析である。次項においては、神世紀移行期四国社会という「現代社会」に出現した「ムラ社会」の意味を、大衆社会論などの成果を参照しながら考察し、日本型「大衆社会」の文脈で位置付けてみたい。
4、神世紀移行期「現代社会」という「ムラ社会」 ―「世間」・「空気」・「世論」と日本型「大衆社会」―
本項では、これまでに検討してきた神世紀移行期の高知県某村落や四国社会における「ムラ社会」(構造)の問題を、いったん「世間」・「空気」・「世論」という観点から考察した後で、大衆社会論の成果を参照しながら再検討することで、「戦死」の要因としての日本型「大衆社会」=「現代社会」の構造的性格(「社会的矛盾」)を指摘したい。
・「世間」とは何か?
まずは「世間」である。
以下の郡千景と乃木若葉の会話に明白なように、当時の四国社会は、「社会」と呼称されることはなく、「世間」と呼称されている。これはどういうことだろうか。
「郡千景 「わかってない」
郡千景 「わかってない……! あなたも、世間も……!」
乃木若葉 「世間?」
乃木若葉 「勘違いするな。褒美や尊敬が欲しくてやっていることじゃない。たとえ人々からどんなことを言われようと関係ない。私たちの目的は敵を倒すことだ。使命を見誤るな。」」
(3期6話の郡千景・乃木若葉)
四国社会に反勇者的世論が出現したとき、千景にしても若葉にしてもそのような世論を生んだ社会のことを「社会」とは呼んでいない。あくまでも「世間」なのである。一連の会話に齟齬は見られないということは、彼女たちにおいて「世間」という言葉は自明の前提として疑問視されることがないようである。
だが、本当にそれは「社会」と対置できるものなのだろうか。そもそも「世間」とは何なのだろうか。
阿部勤也氏によれば、「社会」と「世間」は「等置できるものではない」という。「世間」の実態は「かなり狭いもので」、「自分が関わりをもつ人々の関係の世界と、今後関わりをもつ可能性がある人々の関係の世界に過ぎない」し、「自分が見たことも聞いたこともない人びとのことはまったく入っていない」のである[73]。
だが、「社会」はそうではない。西欧社会を理念型とする「社会」の場合は、「譲り渡すことのできない尊厳をもっている」「個人が前提とな」って集まってできたものである。だから、「個人の意思に基づいてその社会のあり方も決まるのであって、社会をつくりあげている最終的な単位として個人があると理解されている」[74]。
それらは大きく異なったものだと言えるのである。
では、そもそも「世間」とは何なんだろうか。先に紹介した阿部氏は以下のように定義している。
「世間とは個人個人を結ぶ関係の環であり、会則や定款はないが、個人個人を強固な絆で結び付けている。しかし、個人が自分からすすんで世間をつくるわけではない。何となく、自分の位置をそこにあるものとして生きている。」
阿部勤也『「世間」とは何か』(講談社、1995年)、16頁
このように漠然とした個人の凝集体こそ、「世間」なわけだが、重要なのは「強固な絆」というところである。
というのは、この「世間」には「厳しい掟」があり、「長幼の序」(年長者と年少者の間における道徳的秩序)や「贈与・互酬の原理」(対等な関係において貰ったものはほぼ相当なものを贈り返すという原理)、「世間の名誉を汚さない」ことなどが挙げられる。特に名誉の重視は見逃せない。「世間」を構成する「一人一人には何らかの共通の絆があ」るとされ、「誰か一人が犯したことについては全員が共同責任を負う」ことになるため、「世間の名誉」を汚した人物は「世間」から排除されることになってしまうのである[75]。
そのような「掟」に一度違反してしまうと、違反者は、「強固な絆」で結び付けられた「世間」の人々から「後ろ指を指されたり」、かれらに「顔向けできなくな」ったりすることになる。「何らかの犯罪の疑いをかけられた」時などは最悪で、「その瞬間から私達は自分の世間から追放され、敬称さえ奪われてしまう」。しかも「その家族も陰に陽に世間から同様の仕打ちを受けるのである」[76]。
前提として「世間」においては、「自分達の世間が何よりも優先される」ため、「世間に属さない人の迷惑などはまずかえりみられ」ず、かれらには「人間ですらないといってもよい」ほどの扱いがなされるのだから、そのような「仕打ち」は相当に厳しいものになる。「世間は排他的であり、敢えていえば差別的ですらある」のである。だからこそ、人々は「皆世間から相手にされなくなることを恐れており、世間から排除されないように常に言動に気をつけている」[77]。
このように非常に狭い人びとで構成され、「強固な絆」で人々を強力に結び付け、「厳しい掟」の順守を強制させておいて、それに違反した場合には違反者の家族もろともに厳しい制裁を課す「世間」。ここまでの議論を踏まえれば、それは「ムラ社会」と大変よく似通っていると言えるだろう。もはや同義語として見ても問題はあるまい。
続いては「空気」に注目しながら、「ムラ社会」をさらに考察してみたい。
・「空気」とは何か?
次は「空気」である。
既に紹介した通り、千景の巫女である花本美佳は高知県某村落の状況を以下のように説明していた。
「あの村では郡様を糾弾する空気が醸成されていた。元々郡様の家は、あの村では嫌われ者だった。郡様が勇者様に選ばれたから、あの家は称賛されるようになったけど、それがなくなれば元に戻る。」
朱白あおい著『結城友奈は勇者である 勇者史外典』上(タカヒロ企画原案・監修、BUNBUNイラスト、Project2H原作、KADOKAWA、2021年)、103頁
某村落の人々は、郡千景に対して長期間かつ大規模に及ぶ、徹底的な暴力を加えた。それは某村落という共同体全体の意思において、全員を強力な共同体的規制・規範で拘束したうえで実行された「地獄」の光景だった。しかし、そこで「世間の掟」=強力な共同体的規制・規範に違反したと判断され、実際の暴力行使に到達するためには、「住人たちの噂話や世間話などを通して個人・小集団間の意思決定が蓄積され」ることで共同体の意思が決定される「民主的」プロセスを経なければならなかった。
しかし、このようなプロセスが「民主的」だとしても、それは意思決定主体の平等性において「民主的」なだけであって、意思決定の基準や制裁それ自体などは非合理性の極みである。したがって、これらは「民主的」とは到底言えない。
そのことを的確に指摘しているのが暴力行使の要因としての「郡様を糾弾する空気」、という表現である。「空気」とは、もちろん物質としての空気のことではない。非論理的で精神的なものである。そのような非論理的で精神的、そして非合理的で非民主的な「空気」が意思決定プロセスに介在したのだとすれば、(「戯画化」されているとはいえ)某村落が暴力行使へとなし崩し的になだれ込むのは必然的だと言えるだろう。
では、その「空気」とは具体的に何のことを言うのだろうか。
山本七平氏によれば、「空気」とは「非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ『判断の基準』であり、それに抵抗する者を異端として、『抗空気罪』で社会的に葬るほどの力を持つ超能力」だという[78]。
「『空気』これは確かに、ある状態を示すまことに的確な表現である。人は確かに、無色透明でその存在を意識的に確認できにくい空気に拘束されている。従って、何かわけのわからぬ絶対的拘束は『精神的な空気』であろう。
以前から私は、この『空気』という言葉が少々気にはなっていた。そして気になり出すと、この言葉は一つの“絶対の権威”の如くに至る所に顔を出して、驚くべき力を振っているのに気づく。」
山本七平『「空気」の研究』(1983年、初出1977年)、15頁
それは「教育も議論もデータも、そしておそらく科学的解明も歯がたたない“何か”であ」り、「あらゆる議論は最後には『空気』できめられる」のである。人々は「空気」を前にして、「空気」の指示すること以外にどうようもなくなり、それに従わざるを得なくなってしまう。人々は「空気」によって絶対的に拘束され、一切の抵抗を許されることがない。違反者・抵抗者などは「異端」として「『抗空気罪』で社会的に葬」られることになるわけである[79]。
しかも、その「抗空気罪」は「これに反すると最も軽くて『村八分』刑に処せられる」重罪である[80]。「“空気”という呪縛は、人びとを狂乱(エクスタシー)状態に陥れ、『モッブ然』としても、不問に付せざるを得ないだけでなく、その対象とされた人間からあらゆる法の保護を剥奪し、本人に餓死を覚悟させるほどに徹底的」な存在である[81]。
したがって、「空気」が強力な共同体的規制・規範として人々を拘束・抑圧し、違反したと判断された人物には徹底的な制裁が加えられるところを見るに、それは「ムラ社会」ととても近い特徴を持っていると言えるだろう。「ムラ社会」そのものというわけではないが、その構成要素として「空気」が存在したことは認めてもよいはずだ。
しかし、それはいったいどのように発生してきたものだろうか。
山本氏は「空気支配」の歴史について、「猛威を振い出したのはおそらく近代化進行期」であり、「昭和期に入るとともに『空気』の拘束力が強くな」ったと述べている。そして後に残ったのは、「空気」を「一種の不可抗力的拘束」と捉え、同時に「それに拘束されたことの証明が個人の責任を免除する」と考える人々だったというのである[82]。つまり、「空気」とは「近代的」に形成されてきたものだということになる。そのことは、「空気」を構成要素とする「ムラ社会」が「近代的」に形成されてきたことを示唆している。
こうした「ムラ社会」の近代的性格を鑑みるとき、次に見る「世論」の問題は重要なものとなるだろう。
・「世論」とは何か?
では、そもそも「世論」とは何だろうか。
実のところ、「世論」とは「世論」ではない。こういうと明らかに困惑せざるを得ないから正確に言うと、「世論」とは「セロン」であって「ヨロン」ではない、ということである。
佐藤卓己氏によれば、「世論」(セロン)とは、「世間の雰囲気」=「世間の空気」であり、「私情」である。だが、「輿論」(ヨロン)とは、「責任ある個人が担う意見」=「公的意見」であり、「公論」である[83]。前者は、感情的「世論」=「感情」=「世間の雰囲気」=「雰囲気」=「私的心情」、後者は、理性的「輿論」=「意見」=「公的な意見」=「公論」=「公的意見」、である[84]。両者はまったく異なる。
「私たちが新聞を読みかつまたテレビを見るように、また論理と感情が個人の内面で必ずしも明確に分けられないように、輿論と世論も現実には入り乱れて存在している。それにもかかわらず、敢えて自覚的に輿論と世論を峻別して使う必要性を訴えるのは、世間の雰囲気(世論)に流されず公的な意見(輿論)を自ら荷う(になう:引用者注)主体の自覚が、民主主義に不可欠だと考えるからである。」
このような「世論」の台頭は、大正期以降の大衆の政治参加による「輿論の世論化」によって発生したものである。そして、敗戦後に「輿論」が制限漢字となり、(新聞業界が「世論」への言い換え・書き換えをリードしたことで)次第に「ヨロン」と「セロン」の使い分けが社会的に存在しなくなり、「輿論」は忘却され「世論」はヨロンともセロンとも呼ばれるようになった[85]。これが戦後日本/現代日本の状況なのである。
翻って筆者が前項で見てきた神世紀移行期の「対勇者世論」は「セロン」だっただろうか、あるいは「ヨロン」だっただろうか。言うまでもなく、「セロン」の方だろう。既に指摘したように、四国社会=「世間」の人々は勇者たちに自分自身の願望や希望を反映し、大社の側もそうなるように仕向けたのだから、「対勇者世論」が「責任ある個人が担う意見」で構成されることはあり得ない。願望や希望の表象と化した彼女たちを勝手に祭り上げた挙げ句、苦戦し始めたら手のひらを返したように激しい批判を加えて、価値や意味を持たないものとして振り捨てるのだから、(非常時とはいえ)無責任にも程があるだろう(そもそも、かれらが担ぎ上げるべきは勇者よりも、「輿論」という神輿だったはずである)。そのような身勝手で独り善がりの「意見」は実のところ「感情」であり「私的心情」である。それは「世論」=「セロン」にほかならない。
対勇者世論が、親勇者世論→反勇者的世論→親勇者的世論≒親乃木若葉世論&反郡千景世論、というドラスティックな変遷を遂げた理由もここにある。僅か1ヶ月も経たないうちにコロコロと意見を変転させて、郡千景を「戦死」に追いやった世論の不安定性・流動性=世論の「暴走」とは、「世論」=「セロン」だからこその現象である。
かれらを動かした「世間の空気」=「世論」なるものは、「世間」が「ムラ社会」とほぼ同義で、「空気」もその重要な構成要素であることから分かるように、人々を強力な共同体的規制・規範によって抑圧・拘束してくるものである。異論を許容しない「雰囲気」のなかで、「輿論」=「ヨロン」を言えない人々は、その場その場の「世間の空気」に流されるままに意見を変え続けるしかないだろう。
「世論」=「セロン」とは、(「空気」の言い換えなのだから)「ムラ社会」の重要な構成要素ということになる。筆者は前項で神世紀移行期の対勇者世論から当時の四国社会における「ムラ社会」構造の存在を想定したが、当時の世論が(「ムラ社会」そのままの「世間の空気」を意味する)「世論」=「セロン」にしかなっていないのだから、そうした構造が存在するのはあまりにも当然だと言わなければならない。そのような「世論」=「セロン」の「暴走」の、千景の「戦死」の背景にあったのはやはり「ムラ社会」である。
・「ムラ社会」構成員としての「大衆」
もはや情報統制などは言い訳にならない。メディアは万能ではないし、メディアの情報をそのまま鵜吞みにする人間は多くない。問題は「ムラ社会」構造以外存在していないのである。世論の問題に即して正しく言い換えれば、問題とされるべきなのは、勝手に勇者たちを担ぎ上げて無責任に自分の願望や希望を押しつけた挙げ句、ちゃんとそれらを反映してくれないとでも見るやいなや彼女たちに共同で徹底的に攻撃を加えて少女ひとりを「戦死」に追いやった「ムラ社会」の構成員たちのことである。
かれらは無論、近世的な村落共同体の構成員というわけでもなく、(「戯画化」された)頑迷固陋な因習蔓延る辺境村落の構成員というわけでもない。かれらは全員が全員、四国社会という「現代社会」の構成員なのである。これまで見てきた一連の出来事は、四国社会という「現代社会」において発生したことなのである。
「現代社会」の構成員でもある「ムラ社会」の構成員たちとは、いったいどのような存在だろうか。それは、これまで「輿論の世論化」を推進してきた「大衆」と呼ぶべき「近代的」に形成されてきた存在にほかならない。
もはや「ムラ社会」(構造)を真に考察すべき材料はそろった。「世間」・「空気」・「世論」の3者は「ムラ社会」そのものかその構成要素だったが、それらの「近代的」性格に明白なように、「ムラ社会」を生みだしたのは「近代的」な存在であり、つまりは「大衆」である。「ムラ社会」に関してしっかりと分析しようとするとき、筆者が注目しなければならないのは、それら「大衆」であり、「大衆」によって構成される「大衆社会」である。
それでは、「大衆」や「大衆社会」とは具体的にどのようなものであって、どのように「ムラ社会」と関係するのだろうか。最後に、これらの問題を考察することで千景の「戦死」に表現された「社会的矛盾」の本質を考えてみたい。
・「大衆」とは何か?
(オルテガ・イ・ガセット氏によれば)「大衆」とは、(19世紀の文明=自由主義的デモクラシーと技術によって生み出された)「自分の存在を律すべきではなく、またそもそも律することもできず、ましてや社会を統治することもできない」、「『みんなと同じ』であると感じても、そのことに苦しまず、他の人たちと自分は同じなのだと、むしろ満足している人たち」のことである[86]。あるいは、「自らに何ら特別な要求をせず、生きることも既存の自分の繰り返しにすぎず、自己完成への努力をせずに、並みの間に浮標(ブイ)のように漂っている人」と言うこともできる[87]。
それは「一つの社会改革を指しているのではなく」、「今日あらゆる社会階級の中にあり、現代を代表しその上に君臨し支配している人間の階級もしくはそのあり方」を指すものであって、「現代の科学者」も「大衆化した人間の典型」である[88]。そのような大衆が「完全に社会的権力の前面に躍り出た」時代においては、「凡俗な魂が、自らを凡俗であると認めながらも、その凡俗であることの権利を大胆に主張し、それを相手かまわず押しつける」ことになる[89]。かれらは「自分以外のいかなる要請に対しても自らを委ねる習慣がな」く、むしろ「自分たちがカフェーで話題にしたことを他に押しつけ、それに法としての力を付与する権利があると信じている」のである[90]。
さらに言えば、「素晴らしい道具、ありがたい薬品、先々を考えてくれる国家、快適さを保障してくれる種々の権利に囲まれている」にもかかわらず、それらを「作り出すむずかしさ」や「未来のためにそれらの製造を確保する困難」を知らず、「国家組織の不安定なこと」に気づかず、「自身の内部にほとんど義務感さえ持っていない」。このような意味においては、大衆とは、「満足しきったお坊ちゃん」である[91]。
しかし、本コラムにとって何よりも重要なのは、以下のような点である。
「大衆は、みんなと違うもの、優れたもの、個性的なもの、資格のあるもの、選ばれたものをすべて踏みにじろうとする。みんなと同じでない者、みんなと同じように考えない者は、抹殺される危険に晒される。そしてもちろん、この場合の『みんな』は、本当の『みんな』ではない。かつての『みんな』は、大衆と、彼らと意見を異にする特別な少数者との複合的な統一体であった。しかし、今や『みんな』は、大衆だけを指している。
以上が、そのおぞましさを隠すことなく描かれた、現代の残忍な事実である。」
「ほとんどすべての国々において同質の大衆が社会的権力の上に重くのしかかり、すべての反対集団を踏みにじり、無きものにしている」。そこに例外は存在していないのである。かれらは「自分と違う者との共存は願って」おらず、「自分でないものを死ぬほど憎んでいる」[92]。
・「大衆社会」という「ムラ社会」
そのような大衆によって構成される社会―正確に言えば、「政治・経済・文化などのあらゆる領域で大衆がその動向を左右する社会的勢力となった社会」[93]―を「大衆社会」とするとき、(特に日本列島においては、という限定をつける必要があるものの)それらは端的に言って「ムラ社会」そのものとなる。
そのままで満足し「凡俗」に居直る同質化した大衆が、他者に自分の都合を悪びれもせずに押しつけるのみならず、「みんな」以外のすべての存在を徹底的に排除するとすれば、人々は「同じように」存在しなければならないことになる。そこに立ち上がるのは、そのようにあらねばならないとする「強力な共同体的規制・規範」であり、言い換えれば「下からの同調圧力」のことである。もしそれらの抑圧・拘束を抜け出したいと思っても、抜け出そうとしたものは「みんなと違うもの、優れたもの、個性的なもの、資格のあるもの、選ばれたもの」か「みんなと同じでない者、みんなと同じように考えない者」なのだから、「すべて踏みにじ」られてしまうか「抹殺される」だろう。
そのような大衆社会のあり方は、まさしく「ムラ社会」にほかならない。神世紀移行期の「現代社会」に「ムラ社会」という一見奇妙な存在が立ち現れたことは、何ら不思議なことではなかった。「大衆社会」は「ムラ社会」的性格を示すものだから、その「大衆社会」であるところの「現代社会」は当然、「ムラ社会」構造を抱え込むことになるわけである。千景の「戦死」を導出したのは、直接的には四国社会における反勇者的世論の「暴走」と、高知県某村落における壮絶な被暴力体験=地域社会の「暴走」であり、表面的要因としては、四国社会そのものに胚胎されていた「ムラ社会」構造だったが、正確には四国社会という「現代社会」=「大衆社会」が持つ構造的性格=「ムラ社会」構造が反映された事態だったと見なせるだろう。
・日本列島における「大衆社会」の特徴
しかし、最終的な結論を出すにはまだ早い。
日本列島において(比喩的表現ではない意味で)「ムラ社会」というとき、本来的に想定されているのは、やはり〈第一のムラ〉=「自然村的秩序」である。このような近世的な村落秩序との関係において、それらの「ムラ社会」としての「大衆社会」はどのように把握されるべきなのだろうか。
この点に関しては、神島二郎氏や筒井清忠氏の議論が参考になる。
まず神島氏によれば、近代化による都市化の過程において、日本列島の都市には〈第一のムラ〉=自然村的秩序が転移した〈第二のムラ〉=擬制村的秩序が成立することになるという。具体的に言えば、「かつて藩校・塾・組に見られたようなそれぞれの特徴を文武官僚・企業・組合の組織のなかにそれぞれあい対応して定着させ、同時にまた、これが支配層・中間層・非支配層の性格をも規定する要素をなした」という具合である。
〈第一のムラ〉では、祭や稲作生産(水稲作業)などによって「共同体成員の情動的統合」が機能し、「情動的連鎖反応を通して個人心が共同心へと帰向」するというかたちで、共同性が存在していた。また、「全員一致の原理」が貫かれ、中心的人物が居たとしても、それは融合と感動の「表現者」に過ぎなかった。このような状況は当然に〈第二のムラ〉でも延長されることになり、大勢順応主義や全員一致の原理などの影響で群集行動へ同調する「付和雷同」傾向が看取されるなど、自然村的秩序意識が継続したと言われる[94]。
筒井氏によれば、このようにして「農村に伝統的共同体があり、都会に『第二の農村的共同体』が作られている」ところに、マスメディアという「同一の情報の一挙的大量拡散によって社会を均質化する最大のツール」の爆発的普及や、「流行」や「人気」に乗り遅れまいとして無批判に飛びつく人々の影響を最も受けやすい大衆の政治参加の急速な拡大が重なり合わさることで、「同調型圧力が最も強い社会的状態」が現出する。強力な下からの同調主義圧力に対抗しながらリーダーシップを発揮することは至難の業となり、「リーダー」はただの「共同体員の気持ちの『表現者』」や「『音頭とり』として『担がれる人』」にすぎなくなる。
そして、実利主義・身の安全志向の「勝ち馬主義」(「短期的な経済的視野」)と、「孤独な群衆」(デイヴィッド・リースマン氏)たちの「孤独」・「不安」とその奥底にある「深い内面的空虚感・虚無感」に根差した、「都鄙の感覚」(柳田国男氏)に基づいた「時勢をなにか霊的力を持つようなものと視ることからくる崇拝感・畏怖感」(「一種のアニミズム的現象」)が合わさることで、「世界情勢の大変革・急展開」認識に翻弄されるままに「世界の勝ち馬に乗」ろうとする状況が(大衆)社会全体で発生してしまう、というのである[95]。
まとめれば以下のようになるだろう。まず、自然村的秩序意識を「執拗低音」とした近代/現代日本社会において成立した「大衆社会」は、マスメディアの爆発的普及と大衆の政治参加の急速な拡大によって発展するに当たって、強力な下からの同調圧力を随伴することになった。そして、そのことは、旧来の伝統的感覚と大衆社会における大衆意識の混淆のために社会全体を(違反者を許さないままに)無軌道に引きずり回す事態を引き起こす結果を招来したのである。
・日本型「大衆社会」という視点
したがって、それらを踏まえれば、日本列島における「大衆社会」は近世的村落秩序に由来する要素を強く胚胎しながら強い同調圧力を持つものとして成立したということになるだろう。「大衆社会」は確かに「ムラ社会」構造を抱えたものだとは言えるかもしれないが、この場合には日本列島の「大衆社会」特有の要素を考慮しておく必要がある。
筆者は「ムラ社会」を定義するに当たって無国籍性を強調したが、神世紀移行期四国社会=「現代社会」に即して考えてみれば、日本列島という文脈はやはり無視できない。そして、その列島における「大衆社会」に日本的な特殊要素としての強力な同調圧力や自然村的秩序意識の継続などを発見できるとしたら、そのような特徴を共通して持っている(無国籍のはずの)「ムラ社会」概念にとって深刻である。文化本質主義的な議論には慎重でありたいが、「大衆社会」の「ムラ社会」的性格を指摘するときに、日本列島の「大衆社会」に特有の「ムラ社会」的性格が如実にあらわれるという事実は重大な意味を持つ。「ムラ社会」の無国籍的普遍性はそれはそれで重視すべきとしても、もはや列島特有の要素を無視することは容易ではないだろう。
とすれば、先に神世紀移行期四国社会という「現代社会」を「大衆社会」とし、その構造的性格を「ムラ社会」構造としたことは、一部修正されなければならない。すなわち、神世紀移行期「現代社会」とは、日本型「大衆社会」であり、その構造的性格とは、「ムラ社会」構造だということになる。差し当たっては、「大衆社会」の普遍的性格としての「ムラ社会」構造と、列島「大衆社会」の特殊的性格としての「ムラ社会」構造とを合わせて説明できる「日本型『大衆社会』」の文脈で以上のように把握しておくのがベターだろう。
・郡千景「戦死」の本質的要因
これでようやく本コラムに与えられた課題に解答することができるようになった。つまり、神世紀移行期の勇者・郡千景「戦死」の要因となったもの(本質)は何だったのだろうか、ということである。
端的に言えば、それは神世紀移行期「現代社会」という日本型「大衆社会」の構造的性格=「ムラ社会」構造という社会的要因である。日本型「大衆社会」としての神世紀移行期四国社会=「現代社会」が「ムラ社会」構造を保持していたことによって、四国社会は総体において反勇者的世論の「暴走」を、高知県某村落という地域社会において壮絶な被暴力体験という「暴走」を発生させ、その帰結として彼女は「戦死」しなければならなかったということである。日本型「大衆社会」特有の「ムラ社会」構造という「社会的矛盾」が「戦死」の引き金を引いたのだった。
とはいえ、そのような「社会的矛盾」はその後の神世紀においてどのような経過を辿ったのかという問題は残る。以下、当時の乃木若葉の「カリスマ的支配」を考察した補論を挟みつつ、「おわりに」においてそれに関する若干の検討を加えることを以て、本コラムの終わりとしたい。
5、補論 「カリスマ的支配」の体現者としての乃木若葉
・乃木若葉の歴史的重要性と政治的地位の不確定性
西暦における21世紀、神世紀における1世紀。西暦と神世紀の移行期となったそのような時代において、半世紀以上の間「神格化」された「カリスマ」[96]として、上里ひなたとともに「四国の最高権力者」[97]として、四国社会に君臨した乃木若葉の存在感は大きい。神世紀政治史が書かれるときには大書されること請け合いである。
しかし、そのような政治的地位は何ら確定的なものとは言えない。それは、日本列島史における「天皇制」、とりわけ日本国憲法体制下の「戦後」社会における「象徴天皇制」―松下圭一氏が指摘するように、それは「大衆天皇制」にほかならない[98]―のように、曖昧模糊とした権威と権力の体現者である(おそらくは神世紀移行期・神世紀における「天皇」とは勇者によって代替されているだろう)。
まず、彼女はバーテックス(および天の神)との戦争における「勝利」の立役者だから、軍事英雄=軍事的カリスマということになる。また、勇者だったという事実は、「神樹様」という神によって特権的に承認され、超常的戦闘力を譲渡された存在だということを意味する。つまり、神に承認された事実上唯一の人物=人類なのである。
そもそも、彼女は個人的性格としてそれらの輿望を背負って適切に振る舞うことができる能力を持っているから、体現者たり得ることも見逃せない。「多数の国民の積極的な戦争協力を必要不可欠」とする戦時では、「力強い言葉と行動で、直接国民に訴えかけるタイプの政治指導者が求められる」から[99]、そうした資質があることは重要である。
とはいえ、それはあまりにも曖昧模糊とし過ぎている。彼女がそのような個人的資質を持っているとしても、政治的立場を持っているとは描かれていない。精神的指導者としても、何らかの裏づけがなければ、ただの人である。彼女のあり方は、ただ軍事英雄=勇者=個人的資質のトライアングルによる均衡によって辛うじて成り立っているだけの存在なのである。
しかし、彼女はそうであっても確かに「カリスマ」であり、確かに「四国の最高権力者」である。四国社会は「四国政府」によって運営されているのか、「大社=大赦」によって運営されているのか、筆者には分からない。だが、この時期におけるトップに居るのは彼女にほかならない。十分な裏づけを欠いた曖昧模糊な存在にもかかわらず(と言っても、「神無き世界」にいきなり出現した「カミサマ」よりは確実な存在である)、彼女は政治的な権威と権力を保持して四国社会を支配しているのである。
・カリスマ的支配者としての乃木若葉
とすると、このような四国社会の支配形態とは、マックス・ヴェーバー氏の言う「カリスマ的支配」だと見なして差し支えないだろう。「カリスマ」とは、「非日常的・情緒的な特別な資質・能力、ないしそれを持つ人」である[100]。乃木若葉とは、まさしくそのような資質・能力を持った人物だと言える。しかも多数のカリスマがそうであるように、彼女は軍事英雄=「戦争の英雄」(「英雄的な資質」)であり、勇者=「神々から遣わされた主人」(「魔術的な資質」)である[101]。
それは「非日常的な状況」にある被支配者=フォロワー・信奉者の「困窮と熱狂から生まれ」たものであり、被支配者の「信仰」と「承認」によって正統性=レジティマシーを獲得することで成立するが[102]、彼女の場合も、戦争状態のなかで発生した親勇者的世論と個人的カリスマ性の獲得によって「カリスマ」となっている。
もちろん、「カリスマ的権威の存続は、その本質からして特別に不安定」だから、「カリスマ的英雄が権威を獲得し維持するのは、人生のなかで自分の力を証明することによってのみであ」り、「信仰をもってその人に身を捧げている人びとがうまくいっていること〔息災・安寧・繁栄〕によって『証明』されなければならない」。
そして、もしそれを証明できなければ、「その人は明らかに神々から遣わされた主人ではない」ということになる。対勇者世論の激変=「暴走」現象に象徴的なように、「息災・安寧・繁栄」を担保するはずの存在が担保できないとなったとき、人々は「カリスマ」を承認せず、その地位から引き摺り下ろされることになる。「主人はたんなる私人であり、もしそれ以上たらんとするならば、その人は罰を受けるに値する簒奪者となる」[103]。
「カリスマ的権威は、預言者に対する『信仰』に、カリスマ的な戦争の英雄、街頭の英雄、あるいはデマゴーグが個人として獲得する『承認』に基づいており、これがなくなればそれとともにカリスマ的権威も崩壊する。」
マックス・ヴェーバー『支配についてⅡ カリスマ・教権制』(野口雅弘訳、岩波書店、2024年、初出1910年-1914年)、366頁
神世紀移行期において、彼女が現実に失敗しなかっただけで、もし何らかの重大な失敗を犯すことになったならば、同様の事態は十分起こり得ただろう。郡千景の「戦死」のように、それは決してあり得ない事態ではなかった。しかし、現実にそうした事態は起こらず、乃木若葉は盤石な「カリスマ的支配」を定立し、維持し続けたことになる。おそらく神世紀移行期四国社会が文字通りの「移行期」を無事に乗り切って、神世紀社会の300年間の安定を実現できたのは、その「カリスマ的支配」に原因を求めることができるだろう[104]。
・ポスト乃木若葉のカリスマ的支配
彼女の死後において、そのような「カリスマ的支配」はどうなったのだろうか。ヴェーバー氏によれば、その種の支配は時間の経過とともに「日常化」と「物象化」[105]によって堕落する運命にあることを指摘している。「革命的」とも呼べる「クリエイティブ」な性格を持ったカリスマは、「支配が継続的な構成体に硬直していく過程で後退」していく。そして、既得権を打破してきたはずのカリスマが既得権のレジティメーション=正当化のために利用されるようになることで、「世襲」可能なものになったり、官職そのものに付与されるものになったりするのである[106]。
翻って、(筆者の知る限りだが)死後の四国社会を考えてみると、死後で勇者が正式に再出現するのは早くとも神世紀3世紀末を待たなければならないことが確認される。また、それらにしても、それ以前の類似諸例にしても、出現頻度が断続的過ぎるうえ、大赦やその関係者以外に勇者に関する情報が拡散したように思われないことから、勇者という「官職」そのものにカリスマ性が付与された可能性は低いとみてよいだろう。あるいは、大赦関係の狭い社会内部で付与されることはあったかもしれないが、だとしても継続的ではない以上、あまり意味は持たないはずである。
「世襲」についても、乃木若葉以降の「乃木家」は「世襲」されている一方で、勇者それ自体は精神的な「勇気のバトン」による「世襲」類似行為―ただし、これも連鎖的継承が重要であって、継承された地位が焦点化されることは少ない―以外、特に事例を発見できないため、問題にならないだろう。
乃木若葉生存時に「日常化」や「物象化」による堕落があったかもしれないが、死後とあっては、そのようなカリスマ的支配がほとんど再臨していないと見なすべきである(実際、隔世遺伝的な乃木園子の「カリスマ的支配」の出現がせいぜい唯一の例外だろう)。
したがって、死後の「カリスマ的支配」はどこかへと消え去ってしまって、後が続かなかったということになる。とすれば、親勇者的世論≒親乃木若葉世論の行方と同様に、「口伝や乃木家の伝統的権威、あるいは神樹信仰のなかへと、姿形を変えつつ溶解していった」とでも想定しておくのが無難だろうか。
6、おわりに 「ムラ社会」の残影 ―神世紀移行期「現代社会」の彼方へ―
・神世紀四国社会の「戦中」的性格
神世紀の300年とは、基本的に神世紀298年以降の一時期を除外すれば、神世紀移行期のようなバーテックス・天の神との戦争が存在せず、平穏無事な「戦後」だったと見なすことができる。しかし、それは完全な「平和」がもたらされたわけではない。「神樹様」の恩恵による諸資源供給の確保と防御結界展開による外敵防御体制の確立がなければ、成立しない「平和」である。大赦の神樹信仰宣布政策に基づく「異形」の神政国家化の努力もそこでは忘れてはならない。
そのような危うい均衡のうえで成立しているのが、神世紀の「戦後」四国社会なのである。(不可視とはいえ)常に戦争の契機が胚胎しているという意味では、「戦後」四国社会とは、「戦中」なのかもしれない。少なくとも、300年間を通して人々が絶えず「戦争」の渦中や影響下にあったことは間違いないだろう。
・神世紀における総力戦体制の存在と「モラル」向上現象の実態
そのような状況において、人々はたとえば「モラル」が向上するなどして「ムラ社会」構造を脱し得たのだろうか。少なくとも筆者はそうではないと考えている。
その理由は、「神樹様」消滅後の神世紀301年に描かれた生活必需品の「配給」システムの存在にある。そこでは、「配給は全ての住人へ」という標語とともに「これまでと変わら」ない生活必需品の配給制度が敷かれていることがわかるが(3期12話の「大赦広報」)、「これまでと変わら」ないということは、「神樹様」消滅前の神世紀においても、配給制度が存在していたことになるだろう。
神世紀移行期の時点でも、「日用品は自治体より支給されます!」とある四国政府の広報映像が存在していたのだから(3期5話)、そのようなシステムの存在は、「国民総動員によって戦争状態に組み込む自己組織的なシステム」であり[107]、「単に軍事力だけではなく、その国のあらゆる人的・物的資源を一元的、統一的に総動員して戦争目的を達成すること」を要求する[108]、神世紀における総力戦体制の成立を示唆する。
総力戦体制論が説くように(たとえば、山之内靖・J・ヴィクター・コシュマン・成田龍一編『総力戦と現代化』(柏書房、1995年)を参照)、そうした状況下に置かれた国民各層相互の間では、階級やジェンダー、年齢などのあらゆる属性を問わない平準化=均質化作用が働くようになる。「総力戦の遂行は、経済だけでなく、旧来の社会秩序や社会関係を大きく変化させ」、その結果「社会の近代化・現代化が戦時下に進行する」ことになる[109]。たとえばそれは、「従来、近代国民国家の下層や周縁に位置していた人々の積極的な戦争協力」が不可欠となったことで、「小作層、労働者、職人等の『下流階級』の経済力や地位を相対的に向上させ」、先に見た配給制度などは、「消費にあらわれる社会の上層階級と下層階級の格差を下方に平準化する」効果を持った[110]。それは神世紀においても同様の効果を発揮したことだろう。
とはいえ、「総力戦体制」と聞くと、第一次世界大戦や第二次世界大戦の頃の「戦時下」の話だと思う向きもあるだろう。
しかし、佐藤卓己氏が指摘するように、わたしたちの「現代社会」も「総力戦体制」のパラダイムを抜け出せていないのだから(戦時システムと戦時状態は異なる)、「7・30天災」以降の神世紀移行期「現代社会」や神世紀「現代社会」において存在していたとしても、決しておかしいことではない。いわんや、神世紀は事実上の戦争状態にあり、本当に配給制度が存在するのである。推して知るべしだろう。
「ここで重要なことは、19世紀後半以降の大衆の国民化と情報のグローバル化が同時進行した事実である。この二つの潮流は、二つの世界大戦を契機に構築された総力戦体制において一本化され、今日の情報社会が生みだされた。総力戦体制とは、国民総動員によって戦争状態に組み込む自己組織的なシステムである。日本でも『1940年体制』の存続が指摘されているように(野口悠紀雄『1940年体制』のこと:引用者注)、高度国防体制の構築後もなお私たちは高度経済成長、高度情報化と名づけられた『総力戦』状況に置かれている。今なお『動員』は解除されていない。『復員』はなされていないのである。」
このような総力戦体制において、配給システムによって「国民」の(広義の)生活レベルを下げることなく、「現代社会」におけるライフスタイル(生活様式)の大枠をそのまま維持しようとするならば、(日本型)「大衆社会」がそのままスライドされるだろう。「総力戦体制」の成立と(日本型)「大衆社会」の維持は、いきおい「ムラ社会」構造を(温存どころか)増幅させることになる。なぜなら、社会成員すべての生活レベルが物理的に平準化=均質化されたうえで、平均的であることを至上命題とする多数の人々で構成される社会のあり方が維持されることは、かえって大衆相互の差異(一部の突出的消費など)に関する人々=大衆の視線を厳しくさせ、精神的な相互同質化圧力(同調圧力)が再強化されるからである。そこにおいて、「ムラ社会」的状況は悪化するだろう。
しかも、そこで発生するとされる「モラル」の向上という現象は、(精神的動員という意味で)「神樹信仰」の「押しつけ」との関連性が高いことから見て、大赦による理想的な状況への「国民精神総動員運動」の「押しつけ」と、民間=「草の根」の大衆による積極的呼応の共振関係のもとに進展していった可能性がある。
たとえば、昭和戦前期の「国民精神総動員運動」は、「下方平準化」による「社会的な格差の是正」を目指すものだったから、「平等な社会をもたらすかもしれない」という国民の期待が生まれ、大衆の支持と参加を獲得することになった[111]。
また、同時期の民衆は当初、「大正デモクラシー」を継承した「天皇制デモクラシー」を支持していたものの、「天皇制ファシズム」が成立すると、民衆の戦場体験や地域に遍在した「媒介者」を通してそれへと強力な支持を付与することになった。いわゆる「草の根のファシズム」である。深刻化するインフレ・物資不足や悪化したアジア・太平洋戦争の戦局を踏まえても、「戦意は完全に崩壊する一歩手前までいきながら、天皇の詔書を聞くまでは、ついに崩壊しきらなかった」[112]。
大塚英志氏の議論にもあるように[113]、戦争は民衆=国民の日常生活と密接に関わり合いながら進展していったのであって、戦時下のプロパガンダなどを通して国家が「生活」の次元で人々を動員し、支持を調達したのである。
いずれにしても、総力戦体制の確立に際した民衆の主体的協力の存在を無視することは困難なのである。総力戦体制下にあったと目される神世紀「現代社会」が「モラル」の向上によって特徴づけられるとき、その「モラル」は民衆の主体的規制・規範として立ち上がったことだろう。押しつけられたものか自発的なものかは措くとしても、非自明的だった規制・規範が社会で積極的に享受され続けるためには、公的次元と私的次元における一定以上の継続的支持を獲得しなければ成り立ちえない。
とすれば、昭和戦前期の「国民精神総動員運動」や「草の根のファシズム」のように、国家的次元における承認・推進の動向と民衆=国民の強力な支持が存在したと考えるべきではないだろうか。そして、それが長期的かつ大規模な存在形態であるならば、それは明白に有形無形の自発的強制性によって維持されていると見なければならない。しかもそれは再生産可能なものである必要がある。総力戦体制と(日本型)大衆社会が重ね合わされたとき、「ムラ社会」構造が悪化すると既に述べた。
特に私的次元において、このような強制性を絶えず生成し続けて「一定以上の継続的支持」につなげられるのは、「ムラ社会」構造しかありえない。実際、「モラル」が持続的な強制性を以て発現し続けるためには、強力な共同体的規制・規範として全体をしっかりと拘束しておくのが最適である。つまり、積極的に「悪化」させておく必要性がむしろ生じてきてしまうのである。
「モラル」の向上という問題は、決して積極的に評価できるものではなく、「ムラ社会」構造との関連において把握されなければならないだろう。神世紀を越えたとしても、それは変わらないのである。
もちろん、一連の過程で一定の「民主化」(のような肯定的に評価可能な成果)が達成されただろうことも十分に考えられるし、そのような意味において、神世紀移行期以降における「戦後デモクラシー」(三谷太一郎氏=松沢裕作氏)[114]や「焼跡からのデモクラシー」(吉見義明氏)[115]の存在(の萌芽)を看取することも不可能ではない[116]。
しかし、それらがやはり強力な共同体的規制・規範とセットであることを忘れてはならない。神世紀298年~300年において、神樹館小学校の勇者たち(先代勇者)や讃州市立讃州中学校の勇者たち(勇者部勇者)が何のためらいもなく社会・国家の犠牲として共同体のために差し出されたとき、そこにあったのは全共同体成員を強力に拘束する「モラル」だったはずである。
・神世紀「現代社会」における「ムラ社会」構造とその「残影」
したがって、神世紀四国社会=「現代社会」は、神世紀移行期を飛び越えた先にあっても、絶えず「ムラ社会」的状況を維持し続けたものと見なしてよいだろう。つまり、郡千景というひとりの少女に集中的=象徴的に表現された、神世紀移行期「現代社会」=日本型「大衆社会」の構造(社会的矛盾)は、決してその時点だけの「例外」などではなく、その後も存在し続けたのだった。彼女が「構造」のために「戦死」したことは、その後に「いかなる時も生き」なければならない勇者の存在を生んだが、「構造」そのものが変更される契機とはならなかった。「ムラ社会」という問題は、神世紀を貫通して問題となり続けていったのである。
そこにおいて、公式には彼女が記録から抹消されたとしても、上里ひなたたちの尽力によって(「千景殿」などにおいて)ごくわずかながら名前が残ったことは、決して慰めにはならないだろう。そうやったとしても消滅させられたものは元に戻らないし、彼女の存在をしっかりと後世に伝達するものにはなりえない。
彼女の記録を抹消したことは、神世紀の四国社会が郡千景と向き合わなかったことを意味するものである。それはまた、ひとりの少女の「戦死」として表現された「ムラ社会」という社会的矛盾に向き合わなかったことでもあるだろう。神世紀の300年の間中、常に「抹殺」され続けた郡千景の存在は、四国社会=「現代社会」がその間中、常に「ムラ社会」の存在を認知せず、問題を放置し続けたことを示唆しているのではないだろうか。
はっきり言って、神世紀移行期「現代社会」が郡千景の「戦死」を十分に処理しなかったことが、その後の四国社会にとって絶えず「ムラ社会」という問題を付きまとわせることにつながったように思われてならない。
つまるところ、彼女の「戦死」とは神世紀移行期以降の社会に「残影」を残していったのではなかったか。それは、「ムラ社会」という「残影」である。当然のことながら、その「残影」とは、本来「残影」ではあり得ない。現に問題であり続けているはずの「光源」なのである。しかし、神世紀においてそれは積極的に無視され続けたのであって、最終的には「残影」にしかならなかった。四国社会が郡千景の「戦死」に本当に向き合おうとしない限り、その「残影」は「残影」であり続ける。社会的矛盾という要因が認識されたとしても、それが解決されなければ、「向き合った」とは到底呼べないだろう。
それでは、神世紀300年代に際して四国社会が「神」の時代を終えつつあるなかで、その「残影」にはいったいどのような展望が待ち受けているのだろうか。郡千景の「戦死」という残酷な事実は、「現代社会」に重い問いかけを発し続けている。「どうして……郡様は戦死したの?」[117]。神世紀、あるいはポスト神世紀の社会に問われているのは、このことである。
・「わたしたち」の「現代社会」の方へ
そして、それは決して「わたしたち」と無縁な問題ではない。
たとえば、「ムラ社会」の重要な構成要素である「空気」などは非常に身近な問題だろう。
「『空気を読む』『空気が読めない』『そういう空気だった』という言い方で、個人の自律性・主体性を圧殺したり、あるいは、そうした状況に身を預けてしまったことへの後悔の念が語られることは珍しくない。そして『空気』に従わない者が、山本のいうように『村八分』のごとき仕打ちに遭うことは、学校や職場、はたまたインターネット空間にいたるまで日常茶飯事の光景である。」
室井康成『事大主義』(中央公論新社、2019年)、190-191頁
室井康成氏によれば、「人が権威とみなす何らかの対象に同調することで形成される」ものであるという点で、「空気」は、「自分の考えを持たず、時流や大勢に身を任せることで、自らの安寧を図ろうとする自律性・主体性を欠いた人間の態度」である「事大主義」と同義だという[118]。この「事大主義」(=「空気」)とは、確かに「人間本来の普遍的気質の一部」だとしか思えない場合もある。東アジアでは、近代以来絶えず指摘され続けてきた問題点でもある。そして、「今日なお未決の課題として私たちの身近に放置されている」[119]。
とはいえ、それは「諦念するほかない」ものでは決してない。「大勢に流されない強い『個人』であることを初手から放棄してしまえば、『歴史は繰り返す』という便利なことわざに寄りかかるばかりで、新たな未来を切り拓くことなどできない」[120]のだ。これは「空気」もそうだが、「ムラ社会」もそうだろう。
この意味において、神世紀移行期および神世紀の「現代社会」における問題は、「わたしたち」の「現代社会」でもアクチュアルな「問題」である。
それらをいたずらにゆゆゆの「問題」として糾弾することは簡単だが、それだけではあまりにも問題が多い。なぜなら、そのような糾弾の言説は、たとえば「事大主義」について言えば、「他者を指して事大主義だという者は、自分は事大主義ではないという前提がある」ために、「その言葉を発した人に対し、自分自身の事大主義的状況を忘れさせる」効果を持つからである[121]。
したがって、このような言説によって隠蔽される、「わたしたち」の「現代社会」における「ムラ社会」状況にはしっかりと向き合わなければならない。「わたしたち」は一連の問題を「自分事」として受け止める必要があるのである。真に郡千景の「戦死」を受け止めるべきは、神世紀の人々ではなく、もしかすると「わたしたち」自身の方なのかもしれないのだから。彼女の巫女・花本美佳が指摘したように、「コミュニティの特性と社会情勢が悪い形で噛み合ってしまった時に、それは容易く起こり得る」ことを肝に銘じなければならない。
なぜ郡千景は「戦死」しなければならなかったのだろうか。この問いに本当に答えられる時が来ることを筆者は切に願っている。
「私(柚木友奈:引用者注)が生きる時代は、バーテックスや星屑との戦争が終わって約三十年の時が経っている。
私は戦争前の世界を知らないし、戦争自体のことも知らない。
けれども、その頃に起こった出来事は、確実に私に影響を及ぼしている。
三十年。
私が生まれてから生きてきた約二倍の時間。
私にとっては長い、とても長い時間に思える。でも、きっと人類の歴史全体から見てみれば、まったく短い時間だろう。
私は旧世紀の戦争に未だに縛られている。私だけじゃなく、リリ(芙蓉・リリエンソール・友奈:引用者注)も。」
朱白あおい著『結城友奈は勇者である 勇者史外典』下(タカヒロ企画原案・監修、BUNBUNイラスト、Project2H原作、KADOKAWA、2021年)、20頁
繰り返すが、これは彼女たちだけの問題ではないのである。「未だに縛られている」ものをちゃんと対自化してきたと彼女たちに誇れるほど、「わたしたち」の「現代社会」は甘くないだろう。
7、末筆の反省その他
久々に書きはじめてはみたものの、なかなか時間のないなかで相当の時間を空費することとなり、やはりこんな次第に終わった。どうにもまったく懲りない性分である。反省という言葉を知らないのだろうか。猛省を促したいところである(とはいえ、次もまたこうなりそうな気がとてもするのは気のせいではなかろう)。
筆者のどうでもいい内情話はともかくとして、今回の感想を述べるとすれば、今回はいつにも増して難しかったというのがとりあえず書き終えての感想である。正直「ムラ社会」という概念にそれほど有効性を感じていないままに振り回して遊んでいたら、結局書き終えた私もどうにも適当に言い過ぎたようだという印象で、どうにか合理化せねばならんといろいろ冗句を尽くしてはみたが、自信がないところである。
特に、「ムラ社会」概念のいい加減さには呆れかえるばかりであり、具体的に何を理念型としているかと聞かれても、漠然としていて、敢えて言っても「封建的」で「後進的」な村落共同体という自分自身で散々批判した雑駁理解そのままのものが出てくるだけだと思う。お恥ずかしい限りである(※この点に関しては、本コラムのようなものを読むよりも、まず松沢裕作「日本近代村落論の課題」(『三田学会雑誌』108-4、2016年)をよく参照して頂くと大変参考になると思う)。
そもそも「ムラ社会」というとき、まず踏まえなければならないのは、以下に引用した宮本常一氏や高取正男氏の指摘である(宮本氏に関しては、佐野眞一氏や網野善彦氏、最近だと畑中章宏氏などの議論もあるので、詳しく知りたい方は宮本氏自身の著作とともに各氏の著作を読むと良いと思う)。
「一つの時代にあっても、地域によっていろいろの差があり、それをまた先進と後進という形で簡単に割り切ってはいけないのではなかろうか。またわれわれは、ともすると前代の世界や自分たちより下層の社会に生きる人々を卑小に見たがる傾向がつよい。それで一種の非痛感を持ちたがるものだが、御本人たちの立場や考え方に立ってみることも必要ではないかと思う。」
「私たち日本人は、その自然や風土の条件にしたがって開放的構造の家屋に住み、西洋風の個室はもたなかったけれど、そのかわり、西洋にはない個人専用の食器を所持してきた。『一寸の虫にも五分の魂』というのは、日本人が近代的自意識を獲得する以前から、民間でいいならわしてきた言葉である。イロリ端に一家そろって坐り、主婦の手にするシャモジにしたがって食事をするなかで、家族員のめいめいが相互に不可侵の個人用食器をもってきた。たがいにそれを認めあう事実を噛みしめながら、一寸の虫に住んでいる五分の魂のありようから出発して、自我についての近代的な自覚と認識を深める方途も、西洋の個室の場合と少しも変らないほどおなじように、りっぱに存在しているはずである。」
当たり前だけれども「ムラ社会」(というよりも「ムラ」)には時代や地域によっていろいろとあるわけであり、「先進的」だとか「後進的」だとか言ってしまうのは不毛である。西欧近代を過度に理想化するのが良くないのも当然のことである。それは本コラムで見てきた「ムラ社会」的「現代社会」を考えるときも同様であって、しかも「戯画化」されているものもあるのだから、本来は、よくよく慎重に取り扱わなければならない。
先に紹介した松沢氏の議論を参照すれば、「近代日本、つまり明治維新後の日本の農村社会において、近世段階での「村」の単位が、合併後の「大字」となっても依然として基本的な単位として機能していた、という認識」がある程度妥当するにせよ、「近世村落の持つ共同性は村請制という枠に支えられていたものであり、地租改正によって村請制が解体された以上、近世村落の結合は一定の変容を蒙らざるを得なかったはず」なのである。近世村落=「地縁的・職業的身分共同体」の立脚する基盤=村請制は崩壊し、「近代村落」(「近代社会の状況に対応した再編過程を経た別種の団体」)が登場する。そして、「江戸時代以来の町村を合併し、新しい町村を作り出す」(「新たな境界線を社会に引いていく」)「町村合併」が「国家」と「市場」との深い関わり合いのなかで「同心円状の世界」を形成していったのである(松沢「日本近代村落論の課題」(『三田学会雑誌』108-4、2016年)・同『町村合併から生まれた日本近代』(講談社、2013年)、7頁-24頁・188頁-189頁)。近世村落と近代村落は同じものではなく、まったく異なる。この点も抜きにして考えてはならない。
神島氏や筒井氏の議論を参照したとはいえ、近代日本/現代日本の「大衆社会」に拘ってみるならば、たとえば、明治・大正期の「世相」を活写した柳田国男氏の優れた成果(柳田國男『明治大正史 世相篇 新装版』(講談社、1993年、初出1931年)、苅部直「25 柳田國男『明治大正史 世相篇』」(『日本思想史の名著30』筑摩書房、2018年)も参照のこと)のこともあるし、昭和期の「一九五五年ごろを始点とする一九六〇年代」を「画期」とする「生活革命」の進展(色川大吉『昭和史 世相篇』(小学館、1994年、初出1990年)、11頁-13頁)や「カイシャ」(「企業」)と「ムラ」(「地域」)を基盤=基本単位とする戦後日本社会のあり方(小熊英二『日本社会のしくみ』(講談社、2019年)、81頁-82頁)などにも目を配っておくべきだっただろう。
それ以外のことでも、宮本氏の『忘れられた日本人』のうち「対馬にて」で紹介されているような事例は、「全会一致の直接民主制」を示すものであり、西日本の場合にはそれらの「民主的」議事運営は決して珍しいものではなかったし(宮本『忘れられた日本人』(岩波書店、1984年、初出1960年)、19頁-21頁および菊池暁『民俗学入門』(岩波書店、2022年)、175頁-181頁を参照)、近世日本列島社会の中核をなした日本近世村落=村請制村や百姓たちの行動様式・思考パターンこそ、「当時の社会の常識や趨勢をかたちづくっていたのであり」、「江戸時代の社会の特質を深いところで受け継」いだ「わたしたち」にとっては、それらの村落共同体の重要性を軽々しく扱ってよいわけがない(渡辺尚志『百姓の力』(KADOKAWA、2015年、初出2008年)、12頁-18頁参照)。
日本列島に拘るならとことん拘りぬけばよいものを中途半端に済ませてしまったことは、よくなかった。非常に悪い出来のものを作り出す結果を招いてしまった責任は重いだろう(とはいえ、毎度の如くここまで書けたと言うのはよかったと思うので、満足ではある)。
それ以外の問題点もいろいろとあることだろうから、大変申し訳ない限りではあるが、もし読者諸氏のなかで余裕のある方があれば、ご意見・ご感想・ご批判等をお願いしたい。もちろん、簡単な内容でまったく問題はない。
最後にはなるが、本コラム作成に当たっては、友人の応援が励みとなった。この場を借りて御礼申し上げるところである。今後は、時間の足りないなかではあるが、向こう1ヶ月のうちにあと何本かは書いておきたいと考えている[122]。
8、書いてみた感想
実際の誕生日より13日と大幅に超過することになりましたが、郡千景さんの誕生日(2月3日)を心よりお祝い申し上げます。
9、研究資料および参考文献
研究資料
※テレビアニメ版※
『結城友奈は勇者である -結城友奈の章-』(2014年)
『結城友奈は勇者である -鷲尾須美の章-/-勇者の章-』(2017年-2018年)
『結城友奈は勇者である -大満開の章-』(2021年)
※小説版※
朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』上(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2016年)
朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』下(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2017年)
朱白あおい著『結城友奈は勇者である 勇者史外典』上・下(タカヒロ企画原案・監修、BUNBUNイラスト、Project2H原作、KADOKAWA、2021年)
※公式資料※
電撃G'sマガジン編集部編『結城友奈は勇者である ビジュアルファンブック』(KADOKAWA、2015年)
電撃G‘sマガジン編集部編『結城友奈は勇者であるメモリアルブック』(KADOKAWA、2018年)
電撃G‘sマガジン編集部『結城友奈は勇者である -大満開の章- ビジュアルファンブック』(KADOKAWA、2022年)
参考文献
「村落共同体」『日本国語大辞典』
「村社会」『デジタル大辞泉』
赤坂憲雄『排除の現象学』(岩波書店、2023年、初出1986年)
阿部勤也『「世間」とは何か』(講談社、1995年)
石岡良治『現代アニメ「超」講義』(株式会社 PLANETS/第二次惑星開発委員会、2019年)
色川大吉『昭和史 世相篇』(小学館、1994年、初出1990年)
マックス・ヴェーバー『支配についてⅡ カリスマ・教権制』(野口雅弘訳、岩波書店、2024年、初出1910年-1914年)
江藤淳「『ごっこ』の世界が終ったとき」(『一九四六年憲法 ―その拘束―』文藝春秋、2015年、初出1970年)
小国喜弘『戦後教育史』(中央公論新社、2023年)
落合恵美子『21世紀家族へ [第 4 版]』(有斐閣、第4版、2019年、初版1994年)
オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』(佐々木孝訳、岩波書店、2020年、初出1930年)
神島二郎『近代日本の精神構造』(岩波書店、1961年)
苅部直「25 柳田國男『明治大正史 世相篇』」(『日本思想史の名著30』筑摩書房、2018年)
木村元『学校の戦後史』(岩波書店、2015年)
佐藤卓己『新版 現代メディア史』(岩波書店、2018年、初出1998年)
千田有紀・中西祐子・青山薫『ジェンダー論をつかむ』(有斐閣、2013年)
高取正男『日本的思考の原型』(平凡社、1995年、初出1975年)
竹内洋『革新幻想の戦後史』上・下(中央公論新社、2015年、初出2011年)
筒井清忠『戦前日本のポピュリズム』(中央公論新社、2018年)
筒井清忠『天皇・コロナ・ポピュリズム』(筑摩書房、2022年)
広田照幸『日本人のしつけは衰退したか』(講談社、1999年)
本田由紀・伊藤公雄編『国家がなぜ家族に干渉するのか』(青弓社、2017年)
柳田國男『明治大正史 世相篇 新装版』(講談社、1993年、初出1931年)
山本七平『「空気」の研究』(文藝春秋、1983年、初出1977年)
吉田裕『シリーズ日本近現代史⑥ アジア・太平洋戦争』(岩波書店、2007年)
吉見義明『焼跡からのデモクラシー』上・下(岩波書店、2014年)
吉見義明『草の根のファシズム』(岩波書店、2022年、初出1987年)
松沢裕作『町村合併から生まれた日本近代』(講談社、2013年)
松沢裕作「日本近代村落論の課題」(『三田学会雑誌』108-4、2016年)
松下圭一「大衆天皇制論」(『中央公論』74-5、1959年)
宮本常一『忘れられた日本人』(岩波書店、1984年、初出1960年)
室井康成『事大主義』(中央公論新社、2019年)
渡辺尚志『百姓の力』(KADOKAWA、2015年、初出2008年)
10、画像引用元
『結城友奈は勇者である -結城友奈の章-』8話(2014 Project2H、2014年)
『結城友奈は勇者である -大満開の章-』5話・6話・7話・12話(2021 Project2H、2021年)
滝乃大祐作画『乃木若葉は勇者である①』(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNキャラクターデザイン、バーテックスデザインD.K&JWWORKS、KADOKAWA、2016年)、108頁-113頁
「輿論と世論のメディア論モデル」(佐藤卓己『輿論と世論』(新潮社、2008年)、39頁)
「町村数の変化」(松沢裕作『町村合併から生まれた日本近代』(講談社、2013年)、11頁)
「テレビアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』(二〇一一年)は、タイトルにあるような魔法少女ものというよりもダークファンタジーの色味が濃く、新たな魔法少女アニメを目指した意欲作である。原作をもたないオリジナルで、予想し難いストーリー展開が注目を集めた。 ところが、震災(東日本大震災:引用者注)によって第一一話、第一二話(最終話)の放送が休止され、ストーリーの成り行きを注視していたファンは騒然となった。結局、一ヵ月あまり経って残りは放送されたが、休止期間から放送終了後もさまざまな論稿が重なり、その様相は『エヴァ』(新世紀エヴァンゲリオン:引用者注)を思い起こさせた。」
もちろん、一連のジャンルは「魔法少女」(あるいは「魔法少女」に準ずる存在)へと少女たちを疎外しておきながら、不合理や不条理(その最たる例は「死亡」である)を彼女たちに強制する―「魔法少女」から疎外する―「魔法少女」システムとでも言うべきモチーフを採用している点で、共通していることは強調しなければならない。
[3] 電撃G‘sマガジン編集部『結城友奈は勇者である -大満開の章- ビジュアルファンブック』(KADOKAWA、2022年)、50頁-51頁
勇者の身体に「穢れが溜まり」、「ネガティブな思考に支配されやすくなってしまう」という「危険な反動」が存在したため、「仲間の死、世間からの叩き、見えなくなってきた自分の価値」によって弱った彼女が「精霊による穢れ」に付け込まれ、「心への汚染」がひどくなり「もう一人の自分がささやく幻聴を聞くほどまでになっていた」(なお、神世紀においては、「この経験をもとに、精霊を体外でサポートさせるようになっている」)(電撃G‘sマガジン編集部編『結城友奈は勇者であるメモリアルブック』(KADOKAWA、2018年)、98頁・102頁)。
(のちにも触れる通り)大社の勇者管理体制は「戦いのあとの治療など、サポート体制に全力を尽く」してはいたものの、「勇者たちのカリスマ性を政治的に利用した立ち回りを見せて」おり、その取り扱いに際して「1人の少女としての立場や感情は考慮されなかった」(電撃G‘sマガジン編集部『結城友奈は勇者である -大満開の章- ビジュアルファンブック』(KADOKAWA、2022年)、49頁)のである。
ただし、基本的にバーテックスの対処を大赦や勇者に任せっきりしておきながら、いざ勇者として「不適格」となったら勇者システムへ高位存在として超越的に介入して千景が変身不可能な状況に追い込む「神樹様」を名乗る集合神には問題がないとは言わない。
故郷の「村」に帰郷した際に元・同級生に鎌を振るってケガをさせた段階では何もしなかった癖に、若葉を窮地に追いやったらバーテックスの遊弋する敵中に着の身着のままで放置するなど、都合がいいにも程があるし、既に戦死した伊予島杏・土居球子にはそのまま何もせずに「生存」を保障する措置も取らずに放置した割には、勇者の「死亡」には積極的に超越的な「カミサマ」の立場から強制してくるような様子には、心底呆れかえるが、既に「カミサマ」の「異形」性のことは散々論じたので、それはいま追求することではない。よって、筆者はそれを本コラムで問題することはしない(拙稿「「神樹信仰」試論 ―神世紀四国における「異形」の宗教と日本列島史―」(https://terasue-sohcho.hatenablog.com/entry/2023/09/24/220000(2024年2月16日閲覧))を参照。)。
[7] 拙稿「「御記」という問題 ―ゆゆゆにおける勇者御記の意味―」(https://terasue-sohcho.hatenablog.com/entry/2023/09/24/220000(2024年2月16日閲覧))を参照。
[8] 電撃G‘sマガジン編集部『結城友奈は勇者である -大満開の章- ビジュアルファンブック』(KADOKAWA、2022年)、51頁
「天空恐怖症候群」のこと。
「バーテックス襲来の日以降、多くの人々が発症し」、「上空から襲来したバーテックスへの恐怖により起こる、精神的な病」である。「症状の重さによって四段階のステージがあ」り、「最も軽いステージ1では空を見上げるのを恐れて外出を嫌うくらいだが、ステージ2以降ではバーテックス襲来時のフラッシュバックなどが起こり、精神不安定となって日常生活に支障を来す」。「ステージ3」では、「フラッシュバックや幻覚が頻繁に起こり、薬を手放せなくな」って、「働くことも外出することもできな」くなる。「ステージ4」になると、「自我の崩壊、記憶の混濁、発狂に至る」という(朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』上(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2016年)、70頁)(朱白あおい著『結城友奈は勇者である 勇者史外典』上(タカヒロ企画原案・監修、BUNBUNイラスト、Project2H原作、KADOKAWA、2021年)、23頁-25頁・82頁-85頁も参照)。
[10] 電撃G‘sマガジン編集部『結城友奈は勇者である -大満開の章- ビジュアルファンブック』(KADOKAWA、2022年)、47頁
[11] 電撃G‘sマガジン編集部編『結城友奈は勇者であるメモリアルブック』(KADOKAWA、2018年)、97頁
[12] 千田有紀・中西祐子・青山薫『ジェンダー論をつかむ』(有斐閣、2013 年)、33頁・45頁
[13] 落合恵美子『21世紀家族へ [第4版]』(有斐閣、第4版2019年、初版1994年)、94頁-108頁
なお、郡一家の家庭内的自閉化現象に関しては、「家庭教育」の下請化や「学校不信」の増大、「教育する家庭」の一般化という戦後日本教育史特有の事情を踏まえる必要もあるだろう。
というのは、そもそも1950年代までの農山漁村において、学校や教師は地域や家庭の生活から距離を持つのみならず、家庭の介在への「無理解」すらあったし、高度経済成長期までは、農民(家)、商人(家)、あるいは職人などの家業、さらには労働者などの階層ごとに人づくりがおこなわれていたほどだった。
こうした地域の教育力が衰退し、次世代の養成を学校に託そうとする社会全体の大きな流れが発生したのが、まさしく高度経済成長期である。この時期(の後半)に学校や教師へのまなざしは明らかに寛容から懐疑的・批判的なものに転換した。その理由は、「学校に行かなければスムーズに社会に出られないシステムがつくられるなかで、学校に依存せざるを得ない家庭が、学校への要求を強め『学校不信』を抱」いたからだった。もはや学校的な価値に家庭が従属し、「家庭教育」が学校の下請けとなった(木村元『学校の戦後史』(岩波書店、2015年)、12頁-13頁・96頁-99頁・126頁-127頁)。
1970年代以降には、本来なら都市部の新中間層の家族のみを対象とした「教育する家庭」(「パーフェクト・ペアレンツ」)が社会全体に拡大する。かれらの学校への要求は一貫して継続するとともに増大し、学校と家庭の力関係が家庭優勢へと逆転することになる。そして、1970年代以降に顕在化した学校・教師への厳しいまなざしは、結果的に「子供の教育に関する最終的な責任を家族という単位が一身に引き受けざるをえなく」させた。学校が頼りにならないと見なされたことの帰結として、逆説的に子どもの教育への責任を家庭に帰属させ、家庭教育が急速に浮上した(後に残ったのは、「教育する家庭」になれない家族と家庭教育機能を過剰化した家族である)(広田照幸『日本人のしつけは衰退したか』(講談社、1999年)、116頁-148頁)。
「要するに、『家庭の教育力が低下している』のではなく、『子供の教育に関する最終的な責任を家族という単位が一身に引き受けるようになってきたし、引き受けざるをえなくなってきた』のである。」
そして、それは近年になっても変わっていない。新保守主義イデオロギーの動向を反映した政策的な変化=行政による家庭教育への積極的な介入の進展や「ハイパー・メリトクラシー」(本田由紀氏)段階への移行による能力観の転換による親(特に母親)の関与の積極化などによって、家庭教育はますます焦点化するようになってきている(本田由紀『「家庭教育」の隘路』(勁草書房、2008年)・小国喜弘『戦後教育史』(中央公論新社、2023年)、223頁-224頁)。
つまるところ、郡一家の状況とはそのような事情の反映とも見なせるのではないだろうか(※2024年5月12日追記)。
[15] 落合、2019年 178頁
[16] 朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』上(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2016年)、71頁-72頁
[17] 朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』下(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2017年)、98頁
[18] 朱白あおい著『結城友奈は勇者である 勇者史外典』上(タカヒロ企画原案・監修、BUNBUNイラスト、Project2H原作、KADOKAWA、2021年)、104頁
本田由紀・伊藤公雄編『国家がなぜ家族に干渉するのか』(青弓社、2017年)、10頁-12頁
早川タダノリ編『まぼろしの「日本的家族」』(青弓社、2018年)も参照。
なお、こうした被暴力体験の舞台となった某村落は「某」村落でしかない。現状の情報だけでは、①高知県下の市部を構成し、②中小河川と田園地帯が広がる平野部にある、③大字レベルの比較的閉鎖的な集落だということしかわからないから、「戯画化」された一村落なのだと見ておくのがよいだろう。
とはいえ、それを具体的に同定しようとする作業は無意味であり、むしろ有害である。なぜなら、もしモデルがあったとしたら、人々はそこに内在する「特殊」な要因に基づく「異常」な事態などとして一種「悪魔化」してしまい、本来的には現代社会の構造的問題の発露なのかもしれないのに、「わたしたち」とは無縁だと取り扱う態度が出てくることが想定されるからである。
そのような自己反省の契機を欠如した、「進歩的」=「文明的」な態度は、ただ愚かな自己満足のためだけに他者を貶める行為しか招かないだろう。こうした態度は「生産的」な議論を何ら生むことがない。そのような事態を乗り越えるためには某村落の現実を直視して、当時の「現代社会」との関係性のもとに分析しなければならないだろう。したがって、本コラムはそれをある村落=ある地域社会として把握し、それ以上のことは詳しく扱わないものとする。
[21] 朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』上(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2016年)、71頁
[22] 同前
[23] 朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』上(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2016年)、72頁
[24] 朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』上(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2016年)、67頁
[25] 朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』上(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2016年)、73頁
[26] 朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』上(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2016年)、74頁
なお、その「解放」体験のエピソードに関しては、神世紀移行期になって再設定された四国地方内部における中央(香川県)―地方関係の意味を考えるうえで、興味深い。
当時の状況として、大社や四国政府があるだろう香川県が既にそれまでの東京都に代わって首都機能・中枢機能を担うようになっている一方で、それ以外の地域は相変わらず「地方」としての位置づけに甘んじざるを得なくなっている。
ここに郡千景の故郷=某村落のエピソードと解放地点としての香川県という位置づけが差し挟まると、「封建的」で「後進的」な「田舎村」のある高知県および某村落と、「現代的」で「先進的」な「都市」≒「首都」のある香川県というコントラストが発生することになり、後者の要素が明示的でなくても、四国地方内部における地域間格差の生起が問題となる。
神世紀移行期や神世紀における香川県の高い位置づけは、基本的に香川県をメインに据えることによってそれ以外の要素を捨象させているため、隠蔽されているが、よくよく考えてみれば大変重要な問題である。筆者には必ずしも論点として拡大できる余裕を持たないが、追求の余地があるだろう。
[28] 朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』上(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2016年)、74頁
[29] 朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』上(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2016年)、75頁-76頁
[30] 朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』上(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2016年)、75頁-76頁
[31] 電撃G‘sマガジン編集部編『結城友奈は勇者であるメモリアルブック』(KADOKAWA、2018年)、97頁
[32] 朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』下(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2017年)、92頁-93頁
[33] 朱白あおい著『結城友奈は勇者である 勇者史外典』上(タカヒロ企画原案・監修、BUNBUNイラスト、Project2H原作、KADOKAWA、2021年)、103頁
ちなみに、美佳がそのことを知っているのは、いくつか理由がある。まずは「巫女として勇者様たちをサポートする立場になるため、五人の勇者様のプロフィールや生い立ちなどを教えてもら」えたうえ、特に「郡様の巫女という立場」ゆえに「彼女に関して大社が持つ情報はすべて知らせてもらえた」からである(朱白あおい著『結城友奈は勇者である 勇者史外典』上(タカヒロ企画原案・監修、BUNBUNイラスト、Project2H原作、KADOKAWA、2021年)、36頁)。
そして、「小さな神社」の「長である宮司の娘」だったことから、「お願いすれば、多少は動いている人間」がおり、「実際に現地へ行き、住人から話を聞いて得た情報」を把握していたからだった(朱白あおい著『結城友奈は勇者である 勇者史外典』上(タカヒロ企画原案・監修、BUNBUNイラスト、Project2H原作、KADOKAWA、2021年)、102頁)。
[35] 朱白あおい著『結城友奈は勇者である 勇者史外典』上(タカヒロ企画原案・監修、BUNBUNイラスト、Project2H原作、KADOKAWA、2021年)、103頁
[36] 朱白あおい著『結城友奈は勇者である 勇者史外典』上(タカヒロ企画原案・監修、BUNBUNイラスト、Project2H原作、KADOKAWA、2021年)、104頁-106頁
[37] 朱白あおい著『結城友奈は勇者である 勇者史外典』上(タカヒロ企画原案・監修、BUNBUNイラスト、Project2H原作、KADOKAWA、2021年)、110頁-111頁
[38] 朱白あおい著『結城友奈は勇者である 勇者史外典』上(タカヒロ企画原案・監修、BUNBUNイラスト、Project2H原作、KADOKAWA、2021年)、111頁
[39] 朱白あおい著『結城友奈は勇者である 勇者史外典』上(タカヒロ企画原案・監修、BUNBUNイラスト、Project2H原作、KADOKAWA、2021年)、103頁-104頁
[40] 朱白あおい著『結城友奈は勇者である 勇者史外典』上(タカヒロ企画原案・監修、BUNBUNイラスト、Project2H原作、KADOKAWA、2021年)、102頁
[41] 朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』上(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUN イラスト、Project2H 監修、KADOKAWA、
2016 年)、71 頁
[43] 朱白あおい著『結城友奈は勇者である 勇者史外典』上(タカヒロ企画原案・監修、BUNBUNイラスト、Project2H原作、KADOKAWA、2021年)、104頁
[44] 朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』上(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2016年)、67頁-68頁
[45] 朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』上(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2016年)、60頁
勇者公表前のSNS上の状況として、「#(ハッシュタグ)大社」とともに「神話を紐解けば今年の12月1日に日本が滅ぶ...」・「食われた奴がまた新たな敵になるってマジか」・「【拡散希望】あの壁はもう崩れる」という投稿がなされると同時に、「ウソやデマに注意しましょう!」という、四国政府広報の注意喚起と思しきものが見られていたことが確認される(3期5話)。
つまり、「悲惨な状況」のなかで人々が「ウソやデマ」を発信したり受容したりする事態が実際に起こっていて、四国政府が注意を呼び掛けていたということになるだろう(その後の大社=大赦が(おそらくは四国政府との共犯関係のもとに)積極的に「ウソやデマ」を発信していくのだから、皮肉な注意喚起というほかはないのだが)。
[47] 電撃G‘sマガジン編集部『結城友奈は勇者である -大満開の章- ビジュアルファンブック』(KADOKAWA、2022年)、42頁
[48] 朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』上(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2016年)、67頁
[49] 朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』上(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2016年)、60頁
[50] 朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』上(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2016年)、229頁-235頁
ただし、情報を公表し過ぎた感も否めない。
大社の御用新聞と思われる『大社新聞』2018年9月15日号の1面記事には、「郡千景勇者」に関して「記録では確かに初動が遅かったが後半での敵の撃破数は圧倒的だった」とする記述がある(3期5話)。勇者の戦闘の不可視性を少しでも可視化しようとする試みなのかもしれないが、情報統制のためにはもう少し抑えた方がよかっただろう。
特に、出身地が四国地方内部に存在する勇者の場合は、たとえば「高知の希望 郡千景」のように地域社会全体の期待を一身に背負うことになるのだから、その活躍の具体的場面に踏み込むことには慎重でなければならない。その勇者がもし活躍していれば期待が下がることはないが、もし活躍できなければすぐに「活躍」を望む社会的圧力が発生することになりかねないからである。
そこにおいて、可視化された「活躍」の差異は、そうした圧力の発生に際して人々に「客観的根拠」を付与する点で、極めて危険である。勇者が社会的に隔離されていればよいが、完全には社会と隔絶していない以上、その期待の地平に絡め取られて精神的に追い詰められることも十分考えうる。後知恵と言えばその通りだが、そのあたりのフォロー体制が不完全だったことは指摘しなければならないだろう。
実際、(既に述べたように)大社は「戦いのあとの治療など、サポート体制に全力を尽くす一方で、勇者たちのカリスマ性を政治的に利用した立ち回りを見せていた」のであって、彼女たちへの取り扱い方は「勇者」であり「1人の少女としての立場や感情は考慮されなかった」(電撃G‘sマガジン編集部『結城友奈は勇者である -大満開の章- ビジュアルファンブック』(KADOKAWA、2022年)、49頁)。
勇者の政治性を利用しているのだから、大社はその政治性の(意図とは違うという意味での)逆作用にも当然注目しなければならないはずだが、無自覚だったようである。
なお、こうした問題(情報の過剰な公表)それ自体は(後に述べるように)伊予島杏・土居球子の戦死や大型バーテックス出現の事実を隠蔽しようとして、もとから情報を公表し過ぎたことが足枷になったり、郡千景が某村落で戦況悪化によって態度を一変されて攻撃されたりした事態に明白だが、ここでは勇者それぞれの間における社会的評価ゲームを問題としている。
[52] 電撃G‘sマガジン編集部『結城友奈は勇者である -大満開の章- ビジュアルファンブック』(KADOKAWA、2022年)、49頁
[53] 朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』上(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2016年)、168頁・195頁
[54] 朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』下(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2017年)、21頁
この点について、乃木若葉は「どうにも不吉さを感じる」としたうえで、「人々に嘘の情報を流し、無理矢理に明るい空気を作る―歴史上、そのやり方を取った者は最終的に負けてしまうことが多いではないか」、「負け戦の戦法に思えて仕方がない」と述べている(朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』下(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2017年)、21頁)。卓見だろう。
[56] 朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』下(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2017年)、25頁
[57] 朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』下(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2017年)、26頁
土居球子が以下に指摘するように、人々は「人間」として勇者たちを見ているのではない。かれらは「国家の秘密兵器」として、「人類の希望」として、「最後にして最強の楯」として、彼女たちを見ているのであり、彼女たちはそこでそれらを表象するものでしかない。
「球子も新聞を眺め、呆れたように肩をすくめる。
『というか、どれもこれも勝手なこと書いてるよなー。タマたちは兵器でも希望でも楯でもない、人間だってのにさ』」
朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』上(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2016年)、68頁
[59] 朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』下(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2017年)、67頁
[60] 朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』上(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2016年)、77頁
[61] 朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』下(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2017年)、76頁
[62] 朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』下(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2017年)、74頁
[63] 朱白あおい著『結城友奈は勇者である 勇者史外典』上(タカヒロ企画原案・監修、BUNBUNイラスト、Project2H原作、KADOKAWA、2021年)、106頁
[64] 朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』下(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2017年)、86頁
[65] 朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』下(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2017年)、103頁
[66] 朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』下(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2017年)、92頁
[67] 朱白あおい著『結城友奈は勇者である 勇者史外典』上(タカヒロ企画原案・監修、BUNBUNイラスト、Project2H原作、KADOKAWA、2021年)、104頁
[68] 朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』下(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2017年)、118頁-119頁
[69] 朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』下(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2017年)、119頁
[70] 朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』下(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2017年)、119頁-120頁
[71] 朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』下(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2017年)、141頁・155頁
[72] 佐藤卓己『新版 現代メディア史』(岩波書店、2018年、初出1998年)、3頁-4頁
[73] 阿部勤也『「世間」とは何か』(講談社、1995年)、4頁
[74] 阿部勤也『「世間」とは何か』(講談社、1995年)、13頁-14頁
[75] 阿部勤也『「世間」とは何か』(講談社、1995年)、17頁-19頁
[76] 阿部勤也『「世間」とは何か』(講談社、1995年)、20頁-22頁
[77] 阿部勤也『「世間」とは何か』(講談社、1995年)、15頁・19頁
[78] 山本七平『「空気」の研究』(文藝春秋、1983年、初出1977年)、22頁
[79] 山本七平『「空気」の研究』(文藝春秋、1983年、初出1977年)、15頁-16頁・22頁
[80] 山本七平『「空気」の研究』(文藝春秋、1983年、初出1977年)、19頁
[81] 山本七平『「空気」の研究』(文藝春秋、1983年、初出1977年)、61頁
[82] 山本七平『「空気」の研究』(文藝春秋、1983年、初出1977年)、221頁-222頁
[83] 佐藤卓己『輿論と世論』(新潮社、2008年)、314頁-315頁
[84] 佐藤卓己『輿論と世論』(新潮社、2008年)、29頁-30頁・33頁・39頁・89頁-90頁・151頁・211頁
[85] 佐藤卓己『輿論と世論』(新潮社、2008年)、23頁-35頁・82頁-90頁
[86] オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』(佐々木孝訳、岩波書店、2020年、初出1930年)、63頁・69頁・197頁
[87] オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』(佐々木孝訳、岩波書店、2020年、初出1930年)、70頁
[88] オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』(佐々木孝訳、岩波書店、2020年、初出1930年)、198-頁199頁
[89] オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』(佐々木孝訳、岩波書店、2020年、初出1930年)、63頁・75頁
[90] オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』(佐々木孝訳、岩波書店、2020年、初出1930年)、73頁・136頁
[91] オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』(佐々木孝訳、岩波書店、2020年、初出1930年)、188頁-189頁
[92] オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』(佐々木孝訳、岩波書店、2020年、初出1930年)、156頁
[93] 竹内洋『大衆の幻像』(中央公論新社、2014年)、95頁
[94] 神島二郎『近代日本の精神構造』(岩波書店、1961年)、24頁-25頁・30頁-31頁・36頁-37頁・40頁-42頁・52頁-53頁・76頁-77頁・87頁-89頁・167頁
[95] 筒井清忠『天皇・コロナ・ポピュリズム』(筑摩書房、2022年)、195頁-212頁
[96] 朱白あおい執筆『乃木若葉は勇者である』下(タカヒロ企画原案・シリーズ構成、BUNBUNイラスト、Project2H監修、KADOKAWA、2017年)、119頁
[97] 朱白あおい著『結城友奈は勇者である 勇者史外典』下(タカヒロ企画原案・監修、BUNBUN イラスト、Project2H 原作、KADOKAWA、2021年)、54頁
[98] 松下圭一「大衆天皇制論」(『中央公論』74-5、1959年)
[99] 吉田裕『シリーズ日本近現代史⑥ アジア・太平洋戦争』(岩波書店、2007年)、80頁
[100] マックス・ヴェーバー『支配についてⅡ カリスマ・教権制』(野口雅弘訳、岩波書店、2024年、初出1910年-1914年)、400頁
[101] マックス・ヴェーバー『支配についてⅡ カリスマ・教権制』(野口雅弘訳、岩波書店、2024年、初出1910年-1914年)、28頁・32頁・102頁参照
[102] マックス・ヴェーバー『支配についてⅡ カリスマ・教権制』(野口雅弘訳、岩波書店、2024年、初出1910年-1914年)、34頁-35頁・50頁・73頁
[103] マックス・ヴェーバー『支配についてⅡ カリスマ・教権制』(野口雅弘訳、岩波書店、2024年、初出1910年-1914年)、33頁
昭和戦前期、マスメディアによる「劇場型大衆動員政治」や官僚の「政党化」といった、ポピュリズム的普通選挙期政党政治の「行き過ぎ」によって発生した「弊害」への「嫌悪感」=「既成政党批判」・「清新な力への渇仰」から、「非党派的」=「中立的」と考えられた「天皇」を中心とした「警察」・「官僚」・「軍隊」などの勢力の台頭が導出されていた。
その後は「近衛文麿・新体制」に代表される「天皇親政」的ポピュリズムに到達し、大政翼賛会という「政党政治の崩壊と無極化」を招来することで、「戦争への道は容易に引き戻せないもの」となり、最後には日米戦争へと突き進んでしまった(筒井清忠『戦前日本のポピュリズム』(中央公論新社、2018年)、281頁-287頁)。
これを踏まえれば、以下のように想定することも不可能ではないように思われる。つまり、もし当時の社会状況として政治的無関心や政党政治への否定的反応などが拡大していた場合、そこに登場した勇者の存在が(反動として)大衆社会における「清新で中立的な」恰好の政治シンボルとして渇仰されることになりかねない、ということである。
少なくとも一連の「カリスマ的支配」と「勇者親政」的なポピュリズム政治の距離は大変接近しており、筆者はそれらを否定しきることができない。大衆社会のなかの勇者の政治的意味というテーマは、追求される余地があるだろう。
基本的に「物象化」とは、「人と人の関係が物と物の関係として認識されること」を示すものだが、ここでは「非合理的で、非日常的で、再現不可能なカリスマが、合理化され、日常化され、継承可能になっていく様態を記述する」のに用いられている(マックス・ヴェーバー『支配についてⅡ カリスマ・教権制』(野口雅弘訳、岩波書店、2024年、初出1910年-1914年)、414頁)。
[106] マックス・ヴェーバー『支配についてⅡ カリスマ・教権制』(野口雅弘訳、岩波書店、2024年、初出1910年-1914年)、113頁-121頁・166頁-167頁・424頁-425頁
[107] 佐藤卓己『新版 現代メディア史』(岩波書店、2018年、初出1998年)、vii頁
[108] 吉田裕『シリーズ日本近現代史⑥ アジア・太平洋戦争』(岩波書店、2007年)、36頁
[109] 吉田裕『シリーズ日本近現代史⑥ アジア・太平洋戦争』(岩波書店、2007年)、160頁-161頁
[110] 吉田裕『シリーズ日本近現代史⑥ アジア・太平洋戦争』(岩波書店、2007年)、160頁・207頁
[111] 井上寿一『理想だらけの戦時下日本』(筑摩書房、2013年)、255頁
[112] 吉見義明『草の根のファシズム』(岩波書店、2022年、初出1987年)(※引用は266頁に拠る。また、内容説明は加藤陽子氏の解説に大幅に依拠した。)
[113] 大塚英志『「暮し」のファシズム』(筑摩書房、2021年)を参照。
[114] 三谷太一郎『近代日本の戦争と政治』(岩波書店、2010年)・松沢裕作『自由民権運動』(岩波書店、2016年)
[115] 吉見義明『焼跡からのデモクラシー』上・下(岩波書店、2014年)
ただし、神世紀の四国社会は、前提として天の神と神樹にすべてを規定されているうえ、四国社会の範囲内に人類の「可能性」が収斂してしまう構造を持っているという点で、「真の経験というものが味わいにくい社会」である。
そのため、「あらゆる行為がいつの間にか現実感を奪われてしま」い、「気がついてみると一切は『ごっこ』の世界に括弧でくくられてしまっている」ような事態が起こらないとは限らない。
したがって、「戦後デモクラシー」にせよ、「焼跡からのデモクラシー」にせよ、「ごっこ」の世界の範疇として存在することになるのかもしれない(江藤淳「『ごっこ』の世界が終ったとき」(『一九四六年憲法 ―その拘束―』文藝春秋、2015年、初出1970年)参照、引用は134頁-136頁に拠る)。
[117] 朱白あおい著『結城友奈は勇者である 勇者史外典』上(タカヒロ企画原案・監修、BUNBUNイラスト、Project2H原作、KADOKAWA、2021年)、104頁・108頁
[118] 室井康成『事大主義』(中央公論新社、2019年)、i頁・189頁
[119] 室井康成『事大主義』(中央公論新社、2019年)、194頁-195頁
[120] 室井康成『事大主義』(中央公論新社、2019年)、194頁-195頁
[121] 室井康成『事大主義』(中央公論新社、2019年)、193頁
本コラムの議論の対象とした「いじめ」については、赤坂憲雄「第1章 学校/差異なき分身たちの宴」(『排除の現象学』岩波書店、2023年、初出1986年)、27頁-89頁が極めて興味深い議論を展開している。1980年代の学校空間における「いじめ」を「全員一致の暴力」=「供儀」として把握し、その構造を鮮やかに解き明かす赤坂氏の議論は本コラムの議論とも関連し示唆に富むものがあるため、時間の都合上コラムに追加したりコラムそのものを修正したりはしないが、(小国喜弘『戦後教育史』(中央公論新社、2023年)と併読しながら)ぜひ参照されたい(※2024年5月19日追記)。